同窓会とコーヒー牛乳



一応は一級河川に指定されているらしい、そこそこに幅広の川に沿って発展する中都市で私は生まれた。
上京してから「故郷の名産はなんですか。」と聞かれて一寸戸惑う程度の、何の変哲もない土地柄である。
そこに住んでいた2年前まで、私は私の故郷があまり好きではなかった。
高校生の私の目には、遊ぼうと思えば町の真ん中にあるカラオケ屋とゲームセンターにいくか、
有り余った土地に建てられたショッピングモールに行くかの選択肢しかないこの土地がつまらなく映った。
どうしようもなく都会にあこがれていたし、自分はこのような土地に埋もれていくような人間ではないと息巻いていた。
私が帰郷するのは2年ぶりのことだ。東京の大学に入ってからは、新しい暮らしに一所懸命だった。
東京で何かを手に入れないと、帰れないような気がしていた。
親はしきりに帰ってこいとうるさかったけれど、のらりくらりと言い逃れて帰郷を先延ばしにしていた。
結果的に東京で私が何を手に入れたのかわからない。何を手にいれたがっているのかも、わからない。
なんとか自分を変えたくて、田舎の辛気臭い雰囲気から抜け出して上京したのに、自分がどう変わりたいのかも、二年で自分が変わってしまったのかも、私にはよくわからなかった。
ますます帰りづらいなあ、なんてぼんやり考えていた矢先だった。

私に帰郷を決めさせたのは、一通のメールだった。
ありがちな同窓会のお誘いメール。
妙に浮かれた文面で出席を募るそのメールを見たときに、たまらなく懐かしくなってしまった。
私がまず思い浮かべたのは、あの川だ。どの土地にも一本は流れているような、あの川。
川向かいの学校に通っていた私は、毎日その川に架かる橋を自転車で渡っていた。
朝その橋の上でふと視線を川の方へやれば、朝日の光が川面にきらきらと反射していて、とても綺麗だった。
部活を終えてくたくたになってから帰るときに、川の方を見ると、たいていその川の上に月が出ていて、それを見るとなぜだかほっとした。
そんな事を、メールを見たときに瞬く間に思いだしてしまって、ああ、帰りたいなあと思ってしまったのだ。

私がその川を思い出すと、きまって次に思い出すのが、彼女のこと。
彼女とは同じ高校で、しかも三年生の時は同じクラスだった。
特に仲良くはなかった。すれ違えばあいさつする程度。
私は彼女が吹奏楽部に所属していて、コーヒー牛乳が好きなことくらいしか知らない。


私は彼女と一度だけ二人で話したことがある。
その日の事は、よく覚えている。
部活が休みだったから、早く帰れると上機嫌に自転車を漕いでいるところだった。
橋の上でふらふらしながらペダルをふんでいた私は、川に沿って作られた土手の斜面のところに、彼女が一人ぽつん、と座っているのに気がついた。
私はどきりとした。したというふうに記憶している。

私は、彼女にあこがれていた。
特別な美人というわけじゃないけれど、どことなく上品な澄まし顔とか、スカートから伸びるスラリとした足とか、先生の話を聞く時の真摯なまなざしとか、
そういった彼女を構成しているものは私の眼を奪って離さなかった。
魅力的な彼女の周りには当然のようにいつも人がいて、私は彼女に近づくことはなかった。
近づく自分というのをあまり想像しなかったし、できなかった。
彼女の席を後ろから、時折ちらりと盗み見ては満足するようなそういった種類の憧れだったから、私はすれ違う時に彼女が言ってくれる一言のおはように十分なぐらい満足していた。

でも、土手で彼女が一人でいるのを見たとき、教室では一度も「話しかけたい」だなんて思ったことはなかったのに、これは話しかけなくちゃ、と思ってしまった。
土手のうえのところで自転車を止める。
さて、ここまではいいのだけれど、ここからどうしよう。
普段会話などしたことがないから、なんて話しかければいいかわからなかったのだ。
そこで私はふと、気がついた。

「ねえ、何飲んでいるの。」

彼女は、よくコンビニで売っている500mlの紙パックを持っていた。
ゆっくり振り向いた彼女は、「あれ、笹原さん。」と呟くように言った。
私はとても緊張していた。普段から誰彼かまわず話しかけるタイプでもなし、ましてや相手は憧れている人だったから。
彼女は私の質問には答えないで、「今、帰り?」と質問してくる。
私は、「うん、部活ないから。」とぎこちなく首を縦に振る。
彼女はニコッと笑って、私はこの時の笑顔が可愛すぎて未だに忘れられないのだけれど、笑って、「座ったら。」と自分のとなりをぽんぽんと叩いた。
私はおずおずと彼女の隣で三角座りをした。さて、勢いで話しかけれしまったけれど、どうしよう。
ちょっとだけ沈黙が落ちて、私が焦りまくっていると、彼女がポツリといった。

「コーヒー牛乳だよ。」
「ん?」
「さっきの質問答えてなかったので。」

彼女は紙パックのパッケージを私に見えるように差し出した。
なるほど、なんていうか古臭い字体で「コーヒー牛乳」と書かれている。よくうちの高校の購買で叩き売りされているやつだ。

「すきなの?」
「ん。」

ん、とともに、彼女がストローをぱくりとくわえる。

「意外だな。」
「んー?」
「いや、黒川さんって、コーヒー牛乳よりミルクティーって感じじゃない。」

と私が大真面目に言うと、彼女はあはは、と笑う。

「どんなイメージなのそれ。ミルクティーよりもこっちのほうが好きだよ。」
「そっかあ、そのメーカーのって、甘いよねえ。」

って言うと、そこがいいんじゃない、と彼女が力をこめる。

「笹原さんも、飲む?」
「ん、いや、私は甘いのが全く駄目なので。ごめんね、ありがとう。」

すると彼女は、えー甘いものって最高においしいのに、と驚いて見せる。
間近で見る彼女は、表情がころころ変わる、とても可愛らしい女の子だった。私は脈がさらにはやくなったような気がした。
その後、授業のこととか、テストのこととか、クラスメイトとして当たり障りのない話をして、別れた。
会話の内容を細かくは思い出せないけれど、コーヒー牛乳の話だけはとても鮮明に覚えている。
多分コーヒー牛乳がすきという彼女の一面がすごく意外だったのだと思う。
だから私は故郷のことを思い出すと川を思い出す。それからその川岸の土手に座っていた彼女。そしてコーヒー牛乳。
これらを一気に、一緒くたにおもいだす。そういえば、なんで彼女があそこにポッツリ一人で座っていたのか、聞かなかったことに今更きづく。



同窓会は、町の中心にある駅前の全国チェーンの居酒屋で行われた。
規模はクラス同窓会。私たち3年1組は全部で40人弱いたはずだが、出席人数は25人ほどだった。
どこかで期待していた私は集合場所で彼女を見たときに、胸の高鳴りを確かに感じた。
彼女は少し大人っぽくなって、垢ぬけて、簡単に言うとより綺麗になっていた。
それでも、二年という歳月は意外と短いのだろう。少女らしいどこかあどけない笑顔も、ふとした折に見ることができた。
二年という短い時間が変えてくれないのは私の性格も一緒らしい。
座が盛り上がってきて皆が席を自由に動き回るようになっても、私は彼女に話しかけることができなかった。
今思うと、私は川と彼女とコーヒー牛乳を見るために帰ってきたのではないかと思う。
あの会話の後、私たちが特に仲良くなることもなかったから、私の中のあの時間はとても特別なものだ。
うーむ、とビールをすすっていると、ビールから酒種をなかなか変えようとしない私を高校時代の親友が「おやじくさっ」と笑った。
昔から甘いものがダメだった私は味覚がおっさんらしい。好物はつまみ系の食べ物ばかりだし。

「うっさいやい。ビールより旨い酒なんかないよーだ。」

と私と親友が一番おいしいお酒について言いあっていると、

「笹原さん、変わってないなあ。」

って声が聞こえてそちらに目をやれば黒川さんがいたから、あやうくビールを吹きだすところだった。
親友が、まだ成人したばかりなのにビールばっかり飲む女なんか嫌よね、なんて笹原さんに笑いかける。
私はようやく口に含んだビールを飲み下したところだ。彼女は、「ビール苦手だな、私も。」とニコニコしている。

「でも、笹原さん甘いのダメだもんね。カクテル系は甘いやつ多いし。」

え、と彼女のほうを見る。
彼女はくすくす笑いながら、

「むかーし、言ってたよね。嫌いだって。私その時あまーいコーヒー牛乳飲んでて。
笹原さんも飲む?って聞いたら、甘いの嫌いって言うから。なんだか、あの日の事はすごくよく覚えてるんだよね。」

と私の眼をみて言う。
私はどきどきしながら、彼女の手元に目をやった。それから彼女が左手に持つグラスを指差して、

「今飲んでいるお酒は?」

大方予想は出来ていた。コーヒー牛乳の大好きな彼女のことなのだから。

「カル―アミルクだよ。」

カル―アミルクはコーヒーリキュールにミルクを加えたとびきり甘いお酒である。
そうして黒川さんは、いつぞやに、ん、と言いながらストローをくわえたみたいに、グラスを口に運ぶ。

それから、私の方をじっと見やった。

「笹原さんも、飲む?」

その瞳がどこか挑発的に見えたのは、私の気のせいだろうか。
私は彼女のカル―アミルクを奪い取ると、喉にまとわりつくような甘さをこらえて、全部を飲み干した。
飲んでいる最中にふと、私の彼女への思いはただの憧れだったんだろうかと思った。
ただの憧れなのだとすれば、何故いまこんなにも胸が苦しいのか説明ができない。
飲み終えた私がグラスをテーブルに置くと、親友が「人の酒を飲み干すな。」と私の後頭部を叩く。
彼女の方を見てみると、楽しそうに、笑っている。
二年間という月日が変えたものは、確かにあるのかもしれない。

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