flower balloon



今だって忘れない。
私は幼馴染のちいちゃんに、8歳の、小学2年生の秋にプロポーズした。

ちいちゃんは本当にかっこよかった。
髪が長くって、サラサラしていて、ピアノが上手で、勉強がよく出来て、かけっこも速くて。
私の自慢の大親友だった。
おまけに天使みたいに可愛らしい容姿をもつ彼女は、みんなの人気者だった。
私はそれを自慢に思う反面、ちいちゃんが私のものじゃなくなってしまうのが悲しかった。
あほの私はなんとかちいちゃんを自分のものにしてしまいたくて、
知恵熱出るほど考えた末に、親友から許嫁への格上げを画策したのだ。
あほの私は女同士で結婚できないという事実を知らなかった。

8年間の生涯のなかで一番めかしこんだ。
母親から見放されるほど手のつけられない癖っ毛をなんとかおさげにして、
それからお気に入りのワンピースを身につける。
親が引出しに仕舞い込んでいたプレゼント用のリボンをちょろまかしてきて、
庭から適当にちぎってきた花にまきつける。ちいちゃんはお花が好きなのだ。

「ねえちいちゃん、私のお嫁さんになってよ。」

ちいちゃんは少しあきれた顔をしていたように思う。
ちいちゃんは頭の良い子だったから、女の子同士で結婚できないという事実をもちろん知っていたのだろう。
花をうけとったちいちゃんは、

「キキョウね、これ。」

と呟やいた。私はとても正直者であるので、「キキョウっていうんだ、その花。」と答えた。
するとちいちゃんは、怒ったように言う。

「わたしにプロポーズするなんて10年早いよ。」

なるほど、ちょっとはやすぎたみたいだ、とあほの私はすぐさまその主張をのみこんだ。




えてして幼い頃目立っていた子が成長すると地味になっていたり、逆に幼い頃引っ込み思案だった子が
成長して才能を開花させるというのはよくあるはなしだ。

しかし、私が頑固な癖っ毛との折り合いのつけかたをなんとか発見し、
泥遊びをしていた幼い手が受験勉強のために日々シャープペンを握るようになり、
彼女をちいちゃんでなくちあきと呼ぶようになった今も、ちあきは完璧なままだった。。

ちなみに私のあほさも変わっていなかった。奇跡的に彼女と同じ高校に通えたけれども、学力の差は天と地ほどの差があって、
私は日々彼女に勉強を教えてもらっているのだ。

いつものように放課後の教室で私たちは机を向かい合わせに並べた。
私は英語が大変苦手なので、まずは英語の参考書を机の上に出した。
この参考書の表紙というのがなんとも間抜けで、参考書だというのにいかにも頭の悪そうなピエロが浮かれた
花柄の服を着て風船をもってへらへらとしているのが書かれており、その間抜けさがなんだか不憫な気すらしてきて、
なおかつ共感までも覚えてしまい購入に至ったのである。

私が「ねえ見て。間抜けだよねえ。」とちあきに笑いかけると、ちあきも苦笑いをしてから、今度は少し真剣な顔で
そのピエロを見つめた。それから、

「ねえ、balloon flowerってどういう意味かわかる?」

と今度は悪戯っぽく笑う。普段あまり動かない彼女の表情がころころ変わるので、なんだか変だなと思いつつ、

「バルーンフラワー?わかんないなー。てか私が言いたいのはね、風船のほうでなくてこのピエロのあほ面であってね?」

と言ったら、今度は怒ったような顔になった。
彼女の複雑な心理は、あほの私にはよく理解できないことがよくある。しかも彼女は多くの場合それを説明してくれない。
だから原因不明のまま不機嫌になることはよくあることなのだが、いつもはあっさり機嫌を直す。

しかし、今日はなんだか不機嫌が続いているみたいだ。
しばらくは、二人のシャーペンがカリカリと音を立てるだけだった。いつのまにか、教室の中は私たちだけになっていた。

「ねえ。」

突然声を出したのは、私じゃなくて彼女である。
ねえ、の声は彼女に珍しいことに、震えていたような気がする。
しかし私は難解な英文を訳すのに必至で、なおざりに「んー?」とかえす。

「高橋君がさ、つきあってください、って。」

一瞬、教室がしん、となった。もともと二人きりで静かだったのだけれど、二人とも息すら止めたみたいに、
本当に物音一つしなかった。

「・・・・そうなんだ。」

私は参考書から顔をあげないで、笑った。
つきあってということは、つまりは告白ということだろう。
高橋は下級生に人気のあるイケメンで、おまけにちあきと学年トップを争う秀才である。
ちあきが告白されるのは珍しいことではないが、相手が高橋というのが、なんというかお似合いすぎだ。

「そうなんだ、って、それだけ?」

日が陰ってきた。私は、英文を目で追う。しかし上滑りするだけで、内容は頭に入ってこない。
ここは現在進行形か、いや現在分詞か。
私は英語は、大の苦手なのだ。

「いいんじゃない。でも、よりによってこんな受験期にという感じではあるよね。」

私は頭に入らない小難しい英文にうんざりする、という感じで顔をあげた。

ちあきは、声を出さないで泣いていた。
夕日が反射して頬が光っていたので間違えないはずだし、そもそもこの近距離で泣いているかいないかを間違えるほどわたしはあほじゃない。

私は、あんまりびっくりして、なんて言ったらいいかわからないで口をぱくぱくしていると、
あんまりその様子が間抜けだったのか、彼女はまだ涙は光っているその頬を緩ませてちょっとだけ笑って、

「ばーか。」

と私に言った。
ばーか、のついでに席をたって、鞄をひっつかんで教室を出て行ってしまった。
私は彼女の机の上参考書と筆入れを自分の荷物と一緒に鞄にいれてから、静かに教室を出た。




この10年間、変わらなかったものはたくさんある。ちあきが完璧なこと。私があほなこと。
それでも二人の仲が、とてもいいこと。

でも、変わったことだってないとは限らない。
この10年間で、私は昔のような無鉄砲さをなくし、傷つく事への恐怖を知って、
動揺を誤魔化すことだけうまくなるという中途半端な器用さを手に入れた。

つまり私はballoon flowerの意味も知っていたし、私たちはいま18歳の秋を過ごしていることも知っていた。

それと、変わったことはもう一つ。私の彼女への思いがさらに強く、そしてより真剣実を帯びてきたということ。

彼女がballoon flowerといった時胸がどきりとした。
でも、彼女が10年前のプロポーズを覚えていているかに自信がなかった。
いや、頭のいい彼女は覚えているにきまってる。
怖かったのは「昔こんなことあったね。」って笑われてしまうこと。
私にとって、その思いは過去形じゃなくて現在進行形だ。

幼馴染の私たちは家が近く、いつも一緒に帰っていた。
一人の下校はいやに長く感じて、いたたまれなくなって私はかけだした。
家に飛び込んでから、鞄を玄関に放りこんで、庭に直行する。
balloon flowerは生えていなかった。
私はまた玄関に戻って鞄をひっつかんでから、かけだした。
後ろで母親が「どこいくの。すぐご飯だよ!」と叫ぶのが小さく聞こえた。



3件目にいった文房具屋で、ようやく見つけた。紫色のものがあったので、それにした。
ついでにレジの横に置かれていたリボンもかった。
あの日と同じ、赤色のリボン。


収穫物を握りしめて、私はちあきの家に向かう。
まだ秋は始まったばかりだというのに、日が沈みかけると、ずいぶんと冷え込むのだった。
チャイムを押すと、ちあきの母親がでた。
「なんかあの子部屋にこもってるけど。」といって私を家にあげてくれた。

彼女の部屋の前で、さっき買った風船を取り出してふくらます。
風船を膨らますのなんていつぶりだろうか。結び口に赤色のリボンを巻いてから、
ちょっと考えてマジックペンで表面に花を描いた。
部屋のドアをノックする。

はい、と彼女のものにしてはよわよわしい声がして、扉が開いた。
泣き腫らして可愛い顔が台無しの彼女に私は floewr balloon を差し出した。

「私と付き合ってください。」

結婚してください、から付き合ってください、に変えたあたり、私が無鉄砲さのかわりにしたたかさを手に入れた証拠かもしれない。

彼女の顔が花のようにぱっと明るくなるのがわかった。
風船をうけとってから、ちょっと考えて、「キキョウね、これ。」といった。
だから私はまた、「10年早い」だなんて言われないように、

「10年、変わらずずっと好きだったよ。」

って真剣に言ってやる。
すると彼女はまた泣いてしまった。


桔梗の花言葉は、「変わらぬ愛」なんだとか。

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