ある七夕の日の教室での一幕



ねえねえ、皆でお願いをしようよ。

そんな事を言い出したのはミツ子だった。
その声に「えー。」と嫌そうな声をあげたのはぷーちゃんで、
おもしろそうねふふっと柔らかく笑ったのはゆっこだった。
あたしがそんな三人を見ながら黙っていたら、

「美恵はやりたいよね。」

ってミツ子があたしの方を見る。

「なんで、お願い事すんの?」

あたしが純粋な疑問を発すると、ぷーちゃんはバカだなーとあたしのコメカミの所を小突く。

「今日は七夕じゃん。だからこのガキはこんな事を言い出すのサ。」

ぷーちゃんがなんでだかちょっと得意気な感じでいったので、ミツ子はぷくって頬を膨らます。

「ガキじゃないもん!このアホ!」

ぷーちゃんは自分が大人だと思っているみたいだけれど、案外子供なのでそれに応戦。

「ふん、そういうところがガキなんだよね、ミツ子って。」

二人のこうした茶番じみた喧嘩はもはや私たちの日常のものなので、
あたしはちょっと冷めた視線でそれを見つめ、ゆっこは相変わらずふふふーって笑ってる。
ゆっこはこの二人をいつも楽しそうに笑って見てるだけなので、大抵取り仕切るのはあたしになるんだ。
ボケが二人に天然ボケ一人。ちょっとツッコミの負担が重くない?
それでもあたしたちの役割分担は去年4人が同じクラスになった時から固定。ローテーションなし。残念。
二人がなかなか小学生レベルの喧嘩をやめようとしないので、ようやくあたしは口を挟む。

「んで、お願い事ってどうやって。あんた笹とか持ってきてるの?」

ミツ子がニッコリ笑って言う。

「持ってるわけないじゃん。さっき思いついたんだし。」
「じゃあどうすんのよ。七夕ってあれでしょ。願い事短冊に書いて笹にくくりつけるやつ。」
「ん、あれ。」

ミツ子が突っ立てた親指をひょいと向けた先は、でっかいパキラの木だった。

「さわさわの木に結ぶの?」

は?とぷーちゃんが声をあげる。いちいちリアクションのでかいやつだ。
さわさわの木と呼ばれる木は、あたしたちの担任であるさわさわこと佐和子先生が持ってきた観葉植物で、
教室の片隅で日々ひっそりと成長している。

「別にいいじゃん。さわさわも面白がるって。」

まあ、確かに。さわさわはむしろそういうのを喜ぶ先生だ。
あたしは特に反対しなかったし、ゆっこは乗り気だし、ミツ子ははやくもルーズリーフを短冊形に切り取り始めたから、
ぷーちゃんもようやく「じゃあ私も書く!」と言った。ぷーちゃんは仲間外れにされるのが嫌いなんだ。意外とかわいい所あるんだよね。
ミツ子は短冊を4つ作ると、それを皆に回す。
あたしもお気に入りの蛍光ペンを取り出して、さてなんてお願いしようかと考えた。
うん、短冊を目の前にしてみると願い事って意外と思い浮かばないんだな。
別にあたしが無欲な聖人仙人ってわけじゃなくてさ。ほしいものだってたくさんある。
2年ちょっと使ってる携帯をそろそろ機種変したいし、新しい服だってほしいし、
ちょっと高めのブランドもののカバンだって持ってみたいし。物じゃなくたって、
例えばお小遣いをもっともっとあげてほしいだとか、それこそ痩せたいとか、
胸が大きくなりたいとか、もうちょっと鼻を高くしたいとか、そういうお願いだってありかも。
でも、なんか違うんだよなあ。
ってあたしは短冊を見つめながら考え込んだ。
かと言って無事故息災とか、学業成就とか、健康第一とか、それも初詣じゃないんだし、って感じ。
うーん、なんていうかほら、もっと、そのさあ。

「やっぱ恋愛成就、かな。」

そうそう、それそれ。って思わず声の発信主を見たらミツ子だった。
周りのみんなを見ると、まだ誰一人短冊にペンをつけていなくてやっぱり声を出したミツ子の方を見やってる。

「みんな恋愛成就っしょ。私も隣の男子校生徒とのラブロマンスを・・・。」

ミツ子はニヤニヤ笑って言う。なんとまあ、お気楽なやつ。
ミツ子はそれからゆっこの方を見て、「まあ、ゆっこは必要ないか。」ってちょっと羨ましそうに言う。
ゆっこはもう彼氏がいるんだ。あたしたちは見たことないんだけど、少し背が低い以外はまあまあいけてる優しい男なんだって。
そういえば、とちょっぴり強張った頬を緩めてぷーちゃんが口を開いた。

「ゆっこって、カレシとリアル織姫と彦星じゃん。」
「なにそれ。」

ってミツ子の頭の上にハテナマーク。でもわかってないのあんただけだよ、ミツ子。
ちょっと恥ずかしそうにゆっこが笑う。「そんなロマンチックなものじゃないよ。」
相変わらず意味がわかってないミツ子に私は説明してやる。

「ゆっこは遠距離恋愛じゃん。隔ててるのは天の川じゃなくて東北地方だけど。」

ゆっこは、中学3年生の時に北海道から東京に引っ越してきた。彼とは、北海道にいたときからの付き合いなんだとか。
北海道と東京を行き来するのは高校生の私たちにしてみたら膨大な時間とお金がかかるので、彼とは一年に一回か二回くらいしか会えないのだそうだ。

「あーなるほどねえ。ゆっこが織姫で、カレシが彦星ってわけか。」

ミツ子は大きく頷いて、さらに言う。

「でも遠距離でもう3年もなんてよく続くよねー。あんたらの持久力には多分ホントの織姫と彦星もびっくりだね。」

それを聞いて思わず、でもさ、とあたしは口を挟む。

「今は携帯だってあるしメールとかできんじゃん。遠距離っていっても、そんなになんじゃない。
織姫と彦星はなんにも接触できないで一年間待つんだよ。その方がすごくない?」

・・・あーあ。あたしって何言っちゃってんだ。これじゃまるで、あたしがゆっこと彼の絆にいちゃもんつけてるみたいじゃん。
いやまあ、一慨に間違ってはいないわけだけどさ。
ちょっと微妙な空気になったところでぷーちゃんが助け舟とばかりに発言する。持つべきものは友である。

「でも、織姫も彦星もすごいよねえ。浮気とかしないのかな。二人とも違う人に言い寄られてなびいたりしないんだー。」

しみじみ呟いたぷーちゃんに向かって、ミツ子はふふんと鼻を鳴らす。そんでもって、ぷーちゃんの髪をぐしゃぐしゃと撫でる。

「それだけ二人の愛の絆は強いということなんだよ。まあお子様の君に本当の愛はわからないかもしれないけどね。」


おいおい、あんたにわかんのかいな、ミツ子。
今しゃべってる人間が、自分に恋心を持ってるってことにも気付けないあんたが。
・・・と、それは二人の問題なのでさておき。


二人の愛の絆ねー。
あたしはぼんやりと考える。
愛情ってのは、はかれるものなのでしょうか。
確かに彦星が目一杯の愛情を、会えない間も織姫に注いでんのかもしれない。
その愛情はとっても深くて深くて尊いもんかもしれない。
でも、もしかして織姫に横恋慕してるやつがいて、そいつも深く織姫のこと愛してるかもしれないじゃん。
もしかしてそいつとくっついちゃえば、織姫は一年もさみしい思いしないで、今よりもっと幸せになれるかもしれないじゃん。


はたしてはたしてこのままで織姫は幸せなのでしょうか。


私はまだ白いままの短冊に目を落とす。

願い事かあ。願い事ねえ。
願わくば、願わくば。
あれ、七夕って誰に願ってんだ。神様かな。まあいっか。
とにかくあたしの願いは。今ほしくてほしくてたまらないものは。


お願いです。





織姫様を彦星様から奪いたいです。







・・・って!あたし、つい無意識に「織姫・・・」って短冊に書きかけてるじゃん!
まずいなあ。見られてないかなって、ちらって織姫様の方を見やる。
ゆっこはちょっとぽってりした唇をすぼめて、「うーん。」って短冊見つめて悩んでた。
やっぱりかわいいなあ。胸の奥がじくじくする。
ペンで書いちゃったし、ここで変に訂正したら何か疑われるかも。あたしはあたしの恋にとっても臆病なのです。
仕方なく、あとの文章を改変する。
うん、これだって、間違いなく本心だよ。


あたしはとっても丁寧な字で願い事書いてから、さわさわの木の方を見る。
始まりは、さわさわの木だったな。
別に普通の友達だったのになあ。
ゆっこがパキラの世話をしてるって知って、その姿をたまたま見かけたとき、その姿があんまり綺麗だから恋に落ちたんだ。

「よーし、みんな書き終わった?くくりつけるよー。」

ミツ子がはしゃぎながらさわさわの木の方に近寄っていき、ぷーちゃんが「しょうがないなあ。」って感じでそれを追う。
なんていうか、ぷーちゃん。ミツ子を見つめるその瞳だけは、溢れる愛情を隠し切れていないのですが。

あたしとゆっこもそれに続く。ゆっこがふんわりとした声で「何お願いしたの?」って聞いてきたけど
「秘密」って笑ってごまかす。



あたしはゆっこがいっつも丁寧に世話をしているさわさわの木の葉を大切に撫でる。
だって、彼女のことをこんな風に触れることはできないから、これくらいは許してよ。
一番気に入った形の葉っぱに、あたしは短冊をまきつけた。
その短冊には、あたしの純粋な願いと、ちょっとのドロドロした欲望を混ぜ込んで。









「織姫様が幸せになりますように。」

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