第一話


ノエ公国の南のはずれ、パブオン山脈の麓に酒場“狼の髑髏亭”はある。
雑多な店内は季節や昼夜をかまうことなく屈強な男たちでいつだって賑わっている。
そんな中でキーシャ・ナイトレイはしこたま酒を胃の中に流し込んでいた。隣で飲んでいた男がキーシャをちょっと眺めやってから驚いたように言う。

「どうした、今日はめずらしく酒量が多いようだが。」
「戦が終わって、最初にここで飲むときは気の済むまで飲むことにしてるんだ。」

キーシャは男を見て笑う。燃えるような赤い髪をもつ彼女はそれと揃いの瞳を和ませた。
キーシャは女性にしては背が高く、強靭かつしなやかな体を持ってはいたが、回りの戦慣れをした男たちは彼女よりも一回りも二回りも大きく、その中で彼女は一際目立っていた。
そう、ここは傭兵士達の集まる酒場なのだ。もちろんキーシャも、傭兵を生業にしている。
隣の男は先の戦で知り合った男だが、彼は戦いの合間にも酒をあまり飲まない彼女を見て、キーシャは酒に弱いのだと思い込んでいたようだ。
すると、今度は彼女たちの真向かいに座っていた恰幅のいい男が豪快に笑った。

「ふん、こいつはものすごい酒豪だぞ。12のときには樽一杯のビールを一人で飲みやがったんだからな。」
「スタンおじさんはすぐに話を誇張するんだから。ふくらますのはお腹だけにしてよ。」

スタンことスタンシャンパインは、悔しそうにちょっぴり突き出たお腹を撫でた。
スタンシャンパインは、ここ“狼の髑髏亭”のオーナーである。彼自身が元々やり手の傭兵だったのだが、一線を退いてからはこの店の経営をしながら、傭兵たちの斡旋業をしている。
世界事情に精通しており、情勢動向の読みに優れた彼を頼ってくる傭兵は多い。もともと傭兵のために始めた酒場ではなかったのだが、結果的にたまり場になってしまった。
彼はキーシャを幼い頃から知っているため本物の叔父のように彼女を可愛がっていて、今でも傭兵としてのキーシャをよく手助けしてくれる、彼女にとってとても心強い存在だ。

「そんなことよりも、先の戦じゃ大手柄だったそうじゃないか、キーシャ。」

スタンシャンパインが身を乗り出すと、今度は彼の隣に座っていた男がうなずいた。

「こいつはすげえねえちゃんだ。まだ若いのに、そのほそっこい槍でばったばったと敵をなぎ倒す。」

そういって顎先でキーシャの隣に立てかけられた槍を指す。
その言葉に、キーシャの隣の男もうなずいた。
キーシャは「ありがとう。」とだけ言って酒をぐいと飲み干す。照れ隠しというやつだ。
キーシャは傭兵として腕があると評判だ。“赤猫”なんて通り名までついて、戦場じゃあちょっと恐れられたりしている。しかし、彼女は一見、
大男もいとも簡単に蹴倒すような女には見えない。彼女はとてもしなやかな体と浅黒い肌を持ってはいたが、その筋肉はよく引き締まっていてスリムだ。
赤い髪とそれと揃いの炎のような瞳は、戦闘的というより神秘的であった。性格は別に荒っぽいわけでもなかったし、野心家でもなかった。
むしろ彼女は私上の喧嘩などしたことはなかったし、正直なところ非常に面倒くさがり屋でもあった。彼女は「なぜ傭兵になったのか」と聞かれると必ずこう答えるのだ。

「私は生まれてから、槍で戦う以外の生き方を教わったことはない。ただそれだけのことよ。空から食べ物が降ってくるなら、ゆっくり読書をしながら生涯を終えていたと思う。」

傭兵には珍しく非戦闘的な性格と、女性ながらに屈強の男たちの中で、自分の腕一つで生き抜かなければならないという境遇が重なった時、その奇遇が“赤猫”を生んだ。
面倒くさがり屋の彼女は徹底的に無駄を省いた戦い方を身に付けた。誰よりも楽をして勝ちたかったのである。そして力ではかなわない分、猫のように身軽かつ俊敏に槍を駆使して、
剛腕だが鈍間な男たちを打ち破ってきたのだ。彼女の戦い方は大変効率的で、また素早く相手を圧倒したため、戦場においてかなり重宝されるのだった。

「ふん、柄にもなく照れていやがる。」
「そんな事より。スタンおじさん、次の戦場、紹介してよ。」
「なに、お前この前戦ってきたばかりなのに、またいくつもりなのか。」
「うん。」

隣に座る男たちも驚いたようだ。彼らは普通、勝ち戦をしたあとは入った小金でしばらく遊んで暮らすのである。
とくにキーシャはその成果が評価されて、先の戦では結構な給与を貰ったはずだ。男が不思議そうに尋ねる。

「何かほしいものでもあるのか。」
「船で大陸を出ようかと思って。お金貯めてね。」

するとスタンシャンパインはフン、と鼻を鳴らした。

「まだそんなことを。海の向こう側は楽園だとでもおもってるのか。吟遊詩人が持ち込んでくる話じゃ、そうばかりとも思えんがね。」

吟遊詩人とは、人前で芸を見せたり歌を歌ったりして世界中を旅する芸人をさす。他国の風土や政治事情を詩に乗せて歌うことがあり、吟遊詩人を通して人々は
遠い異国の地に思いをはせるのである。

「行ってみなきゃわからない。とにかく、もう少しお金がほしいわけ。」

キーシャが頼みこむと、スタンはしばらく考え込んでから首を振った。

「やめとけ。今はウマイ戦争の話はないね。ちょっと荒れそうだからな。」
「荒れる?どのあたりが。むしろ、どんどん国が統一されて戦なんかなくなっちまうんじゃねえかと思うがね。」

隣の男が口をはさむ。「食いっぱぐれるかも知れんとひやひやするぜ。」と男たちは頷き合う。



キーシャ達の暮らす大陸は、かつて大小さまざまな国がいくつもいくつも林立していた。国々は長い時間をかけて対立や和解を繰り返し、吸収され、合併され、
ついに二つの巨大な国家を成立させることとなる。タッツリア帝国とクルーザン共和国である。
強力な指導者に恵まれた二つの国が未だに互いをつぶし合わずにいるのは、大陸を分断するパブオン山脈のせいだ。
パブオン山脈は大陸のちょうど中心を北から南へ分断しており、その東の大半を共和国が、西の大半を帝国が治めている。
先だっても、キーシャは自らの腕で帝国の領土拡大を手助けしたばかりだ。国を持たないキーシャにとって戦いは生きる糧であり、どの国が勝ち、どの国の領土が奪われようとも
知ったところではないのだけれど。
そんなふうに二つの巨大な国の対立を妨げるパブロン山脈ではあるが、その中心から少し南よりに、山脈が途切れる地点がある。
南北は山脈、東はクルーザン共和国、西はタッツリア帝国に囲まれたその地にあるのが、ノエ公国である。国というよりも大きめな都市といった風情のノエ公国ではあるが、
大陸のほぼ中心、軍事的にも経済的にも要衝の地にあるこの国は、代々理性と知性に富んだ国王に恵まれている。そのために、今日まで国は繁栄を極めているのだ。
おまけにノエ公国の城は要塞とも言えるほど鉄壁の守りを誇っている。外からの侵略には鉄壁の城が、内からの内乱は国王による親政が、それぞれ見事に機能してきたおかげで 今日のノエ公国がある。
ノエ公国は二つの巨大な国に対して、中立の立場を示し続けている。二つの国にとって、相手側の国への「入口」にもなっているノエ公国の存在は重要であったし、
経済的に繁栄したノエ公国の存在は、国土の広さに反してあまりにも巨大である。ノエ公国は二つの国を両天秤にかけて、バランスを取ることで、自らの国の守り続けている。



「両国のバランスが、崩れるかも知れん。今はどちらとも読めないがね。」

スタンシャンパインは心持ち声を潜める。

「なんでも、今は極秘になっているが共和国の元首が倒れたらしい。元首の強力な指導力でもってきた国だからな。それをきっかけにガタガタになるかもしれない。」
「内乱が起こるのか。」
「それもあるが、問題は、この情報をオレですら知ってるってことさ。オレが知ってんだから、帝国の奴だって知ってるだろう。きっとつけこんでくるぜ。」
「それでも、ノエ公国があるさ。」

男たちは楽観的である。まあ、そうなんだが、ノエの国王がいくら有能でも限界はあると思うがね、とスタンシャンパインはウィスキーをぐびりと飲む。

「とにかく今は様子見だ。負け戦に出て戦い損するよりはいいだろう。」
「わかったよ。」

しぶしぶキーシャは頷いた。

「それより、ノエ公国といえば、サラ王女を一度でいいから拝みたいもんだ。」

しばらくノエ公国の城の堅牢さについて語っていた男たちの一人が声をあげた。

「たしかに。なんていったって“ノエの至宝”とまで呼ばれている人だからな。天使のように美しい外見をしているって話だ。」

にわかに色めきたった男たちは、しばらくサラの話に夢中になる。

「ふん、自分たちの仕事の話より、よっぽどイキイキしてやがる。せっかくオレが世界情勢を講釈してやろうってのに。」

スタンシャンパインが悪態をつくと、キーシャは笑う。

「まあ、確かに私もどこぞの国の王さまが何考えてるかより、かわいらしい王女の方に興味があるね。」
「お前は単に世界情勢に全く興味がないだけだろう。」
「おや、よく分かったね。」
「国が何を考えてるのか知るのも処世術の一つというやつだぞ。お前さんももう少し、お偉いさん方の思考を読まなきゃならん。」
スタンシャンパインは真面目くさった顔でそういったが、キーシャはジョッキのビールを飲み下してそれとなくかわすのだった。

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