第二話


標高の高い山が林立するパブオン山脈において、キーシャは視界を遮る枝を、小刀で薙ぎ払いながら突き進んでいた。
戦いから離れているというのにわざわざこんな山奥に来ている理由というのは、“狼の髑髏亭”でのある男の一言に端を発する。




「そう言えば、パブオン山脈のどこかにお宝が眠っているという話を聞いたぞ。なんでも、100年前の山賊ウォルフ・ロンが大秘宝を隠したって話だ。」

男たちは一様にそう語った男の方を見やった。

「ああ、それならおれも聞いた。山脈から流れるクルリス川の側の洞窟にあるとか。」
「何言ってんだい、俺はどこかの山の頂上に埋められてるって聞いたが。」

その後もさまざまな噂が飛び交った。共通しているのは100年前の山賊が秘宝を隠したということぐらいである。
誰もこの話を真剣に聞いてはいなかったし、話し出した当の本人たちも本気で話してはいない。
こういった種の伝説は数々あって、寓話としてしばしば酒の肴にされるのだった。そこで唐突に声を上げたのはキーシャである。

「それじゃあ、しばらく戦に出れそうもないし、それを探しに行こうかな。」

ぎょっと、男たちがキーシャを見やった。本気にするとはだれも思わなかったのだ。

「そんな目で見ないでよ。暇つぶしだし、万が一大金が手に入ったら、もう闘わなくても済むしね。」

そんなわけで、暇つぶし兼一攫千金を狙って、キーシャはパブロン山脈に挑んだのだった。スタンシャンパインは「もの好きなやつだ。」なんて溜息をついてみせたりはしたが。




しばらく枝を薙ぎ払いながら黙黙と山を登っていたキーシャであったが、急に視界が開けたことに気がついた。川に行きついたようだ。流れのはやい川ではあったが、
ちょうど休もうと思っていたところだったので、これは好都合と川に近づいていく。

すると、近くで男の怒号のようなものが聞こえた。戦人の性であろうか、キーシャは咄嗟に槍を構える。
どうやら、怒号はキーシャに対して発せられたものではないらしい。上流のほうから聞こえてくる。そちらに目をやると、何かが流れてくる。
怒号はしきりに「お嬢様!」と叫ぶ。どうやら「お嬢様」とやらが流されたらしい。
生来面倒なことが大嫌いなキーシャではあったものの、目の前で溺れかけている人間を見捨てるほど非情にはなれない。素早く靴を脱ぎ捨てると、川に飛び込んだ。
川は外から見たよりも流れが速かった。これは弱ったな、と思いながらもキーシャはなんとか「お嬢様」をひっつかみ、岸に体を寄せようとした。
あまりに流れが速く、危うく「お嬢様」ともどもキーシャまでも溺れそうになったが、だてに数々の戦いを生き抜いてきてはいない。岸に持っていた槍を突きたて、
なんとか体を地上に持ち上げることに成功した。

「お嬢様」のほうを見やった。水を飲んだようで意識も息もない。背中をちょっと叩くと、ケホッケホッと水を吐き出して、意識を取り戻したらしかった。
ゆっくりと、「お嬢様」の目が開かれる。しばらく、見つめあった。キーシャには珍しく少し動揺した。「お嬢様」と呼ばれた少女があまりにも美しかったからである。
濡れそぼったブロンドの髪はまるで絹のようであり、キーシャの眼を見つめる彼女の瞳は、蜂蜜のような黄色がかった茶色をしていて宝石のように輝いていた。
溺れたショックから若干青ざめてはいたけれど、真っ白な肌が目にまぶしかった。
キーシャには長い時間のように思われたのだが、実際のところそれは一瞬であったらしい。少女は、ショックと疲労からまた意識を失った。今度は息をちゃんとしているから、
少し休めば大丈夫なはずだ。
「お嬢様!」という声がだんだん近づいてきて、「お前は誰だ!」という声に変わった。呪縛が解けたかのようにようやく少女から目を離したキーシャは、
近寄ってきた男二人の方を見やった。男たちは武装をしていて、腰から引き抜いた剣をキーシャの方へと向けた。キーシャは仕方なく槍を地面に置いてから、両手を上げた。

「助けたのに、それはないでしょう。」

とりあえず抵抗の意思はない、ということを示しつつキーシャは不満を隠さなかった。当然である。少女が彼らの言うように「お嬢様」なら、
少女の救世主をもっと手厚く迎えてよいはずだ。むしろ、謝礼をいただきたい。山賊のお宝の代わりに少女を助けた礼金を持ち帰ったら、スタンシャンパインは笑うだろうな。
日々の戦いで並並ならぬ度胸を養ってきたキーシャは、剣の切っ先を前に呑気にそんなことを考えていた。

「その方の言うとおりだ。剣を下げなさい。」

その声は男たちの向こう側から駆け寄ってきたもう一人の人間のものだった。
一見痩躯の男性のように見えた。しかし近付くにつれて、それが女性であると知れた。体型はキーシャによく似ていたが、キーシャよりもさらに背が高いようだった。
その女も武装をしていたが、彼女の甲冑には転々と血が散っていた。彼女の顔色は普通の人間のそれだったので、返り血であると知れた。

「はい、隊長。」

男たちはしぶしぶといった感じで剣を降ろした。もしかしたらこちらも女性であったので、少しくらい妥協したのかもしれない、とキーシャは思った。

「お嬢様!」

すらりとしたその女性は少女に駆け寄った。彼女が無事で意識を失っているだけだとわかると、安心したように一息ついてから、割れものでも扱うみたいに、 大切そうに、大切そうに少女を抱き上げた。
そしてようやく、キーシャのほうを振り返る。

「お嬢様を助けていただいてほんとうにありがとうございます。ぜひ、お礼がしたい。一緒にいらっしゃってください。」




彼女たちについて川沿いを少し歩くと、平らな大岩のある開けた場所に出た。そこでさらに二人の武装した男性が、テントのようなものを設営している。
ぐったりした少女を見て二人とも動揺したようだったが、命に別状がないと知ると落ち着いたようだ。

少女を既に作り終わったテントに寝かせた後、手頃な大岩に腰かけて、背の高い女性と向き合う。4人の男たちは彼女の部下なのだろう。テントを作ったり、薪をひろったり、
各々ふりわけられた業務を始めたようである。

「お嬢様を助けてくださってありがとう。私はシェーン・バンドと言います。」
「キーシャです。キーシャ・ナイトレイ。」

シェーンの漆黒の双眸がきらりと輝いた気がした。キーシャは直感的に、ああ面倒なことになりそうだ、と思った。謝礼という言葉に釣られてのこのことついてきたはいいものの、
まだ何かが待ち受けているような気がしてならない。

「何も聞かないんですね。私たちが何者であるかということも。」
「あなたたちが語らないからです。つまり言えるような立場にないのでしょう。それとも聞いてほしいの?」

キーシャは少し意地悪く言う。この集団はどう見ても異質で、旅の集団というにはそぐわない。少女の身につける衣服から彼女が相当の良家の生まれであると知れたが、
良家のお嬢様がちょっとした旅行でこんな辺鄙なところに来るはずもないし、そもそもそれにしては侍従の人間が少なすぎる。とすれば何かを忍んでいるのは明らかなのである。
シェーンの甲冑の返り血から察すれば、誰かに追われているのかもしれない、とキーシャは察しをつけた。
まあ、ここでキーシャの場合、気を使って聞かなかったというよりも単純に興味がなかったというだけなのだが。少女の素性よりかは、礼金の封筒の厚さの方が、 よっぽど気になるのである。
シェーンがキーシャの事を聞かないのは、きっと知っているからだろう。 武人のはしくれなら、一度はキーシャの名前を聞いたことがあるはずだ。そして、その目立ちすぎる赤色の髪と瞳の事も。

「頭の良いかただ。何も聞かないでいてくれるのは、助かります。お礼をはずみたいところですが、どうかお嬢様が目を覚ますまでここに滞在してはいただけないですか。
お嬢様に会わせる前に、恩人を帰してしまったと知れば、私がお嬢様に怒られてしまう。」

なにを企んでいるんだこの女、とキーシャは思った。お嬢様が実際に怒るとしても、それはこの一介の傭兵を留まらせるに足る十分な理由だとは考えられなかった。
通り過ぎの傭兵など、適度な金をくれてやってほっぽりだせばよいではないか。キーシャは、いよいよ面倒くさいことになりそうだ、と思いながらも、気づいたら頷いていた。
このまま謝礼を断って出ていくのも癪だし、少女と少し話してみたい気もしたのだ。

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