第三話


少女のキーシャへの第一印象は、あまり良くなかった。むしろ最悪であったと言えるかもしれない。
川でキーシャが助けた後ほんの一瞬目を合わせているから本当のところ第一印象ではなく“第二印象”とでも呼ぶべきなのかもしれないけれど、少女はあの時の事を全く記憶していなかった。



キーシャが少女の眠るテントに入った時の事だ。どんな具合か、ちょっと様子を見ようと思ったのである。
中に入ると同時に、少女が目を覚ました。シェーンは四六時中少女の傍にいて甲斐甲斐しく世話をやいていたのだが、その時に限っては席を外していた。
少女の目には、燃えるような髪をした若者が自分のテントに入ってきたのが映った。無頼者が侵入したのだと思い、とても混乱した少女は叫び声をあげて
自分の身を守るため起きて逃げようとする。しかし起きたてのせいで体がうまく動かない。少女はなんとかしようと、とりあえず身の回りにあるものを侵入者に向けて投げつけた。
冷水をいれた桶だとか、気つけ薬の小瓶だとか、そういったものをである。少女があまりに必至で投げつけるのでキーシャは弁解の余地もなく、テントから撤退せざるを得なかった。

シェーンが騒ぎに気づいて駆けつけて、それが少女の勘違いだと知ると、キーシャは恩人なのだと少女に説明し、二人を改めて引き合わせた。

「お嬢様、こちらの方は、お嬢様を川から救い出してくれたキーシャです。」

少女は申し訳なさそうに「私勘違いしてしまって、ごめんなさい。」と素直に誤ったけれど、一方で少女の勝気な性格が、見え隠れしているように思われた。
キーシャは小瓶が作った頭のこぶをなでながら、唇をゆがめた。

「乱暴なお嬢さんだね。恩人を追い出すか、ふつう。」

キーシャとしては、別段怒ってもいなかったし、少女の境遇を考えれば勘違いしてしまうのも仕方がないと思っていた。それでもこういった種の憎まれ口を叩くのが彼女の常であったし、
もしかしたら美しい少女を前に照れ隠しをしたというのもあるかもしれない。
しかし花よ蝶よと大切に育てられたであろう少女はひどく正直な性格らしい。「まあ、謝っているのだし、そんな態度をしなくてもいいじゃない!」といわんばかりに、頬を膨らます。
こうして、あらためて対面した二人の間柄は決して良好とはいえないものとなった。
少女は怒ったようにテントの中に戻ってしまう。それを眺めて、キーシャは「くそ真面目なお嬢さんだ」と思った。キーシャとしては、半分くらいは冗談のつもりだったのである。
そんな様子を見やっていたシェーンはちょっと苦笑いしてから、キーシャのほうへ向きなおった。
それから「ちょっとお話はあるのですが。」と今度は武人のそれらしくかなり鋭い目になる。

「話って?もうお嬢様も起き出したことだし、私は出て行ってもいいんだよね。」

シェーンはちょっとだけ考えるそぶりをしてから、キーシャの質問はまるで聞こえていなかったかのように、言う。

「あなたは、傭兵なんですよね。」
「そう。今は休業中だけれどね。」
「あなたを、雇いたいのだけれど。」
「残念だけれど、今は休業中なの。」

面倒なことはごめんだ、とキーシャは思う。単純な戦闘ならぜひ参加するところだが、この集団はなんというか、いろいろな“ウラ”が絡んでいそうで
キーシャにとっては歓迎できる話には思えなかったのである。

「そうね、これくらいでどうかしら。」

またしてもシェーンは話を聞いてはいないらしい。
シェーンが提示した金額は、キーシャの度肝を抜くものだった。一年間でキーシャが稼ぐことのできる金額をはるかに超えていたのだ。
さらに、「前金としてこの金を。」と小袋にたっぷり入った金貨を握らされる。
キーシャは、あと先考えずに思わずうなずいた。このとき、すでにキーシャはウォルフ・ロンの大秘宝についてなど綺麗さっぱり忘れていた。
そして後々この時の事を回想してから、「スタンおじさんのいう“処世術”ってやつ、私ももう少し見直すべきかもしれない」と強く思うこととなる。
金貨に目を丸くしていたキーシャに、シェーンは笑いかけた。

「本当は、お嬢様に説得してもらうつもりだったんです。」
「なんでわざわざ。」
「あの可愛らしい笑顔で頼まれて断れる人間なんていません。」

そう言ってから、「でも計算外にあなたへの印象が悪かったみたいだから。」と、先ほどの情景を思い浮かべてくすくす笑った。それで金で釣る作戦にきりかえたというわけか。

「ずいぶん嫌われたみたい。あなたの読みも甘かったね。」

とキーシャが金貨をちゃりちゃり言わせると、シェーンは「ふむ。」と顎に手をやる。

「あんな出会い方をしていなかったら、お嬢様はあなたの事を気に入っていたと思うな。」

そういってニッコリする。
そうしてここで初めて、シェーンも笑って話すことがあるのだということにキーシャは気づくのだった。

「それじゃあ、あなたは雇われた兵士とはいえ、我々の仲間だ。私たちの事を、お話しましょう。」

シェーンはまた鋭い目つきに変わると、キーシャに手近な岩に座るように促した。
彼女もその隣に腰をかけてから、喋り出す。

「実は、私たち・・・。」
「ノエ公国の人間でしょう。さしずめ「お嬢さん」は「サラ王女」というところか。」

キーシャが先回りして答えると、シェーンは少しだけ驚いたそぶりを見せはしたが、すぐにクスっと笑う。

「さすが、“赤猫”だ。その通りです。」

褒めてもらって申し訳ないのだが、この読みは純粋にキーシャのものであるとは言えなかった。キーシャは戦闘の技術こそすさまじいものがあったけれども、
「推理」だとか「情勢を読む」だとかいうものに関してはからっきしなのだ。
なぜそんなキーシャが彼女たちの正体を知りえたかといえば、それはスタンシャンパインのおかげだった。
スタンシャンパインはタッツリア帝国とクルーザン共和国の二つの巨大な国家について話すときに、ノエ公国についても語ってくれたのだ。




「今は一見二つの国がうまくバランスを保っているように見える。でも、少しずつほころび始めてる。クルーザン共和国の元首が倒れたからな。
この好機をタッツリアの皇帝が見逃すとは思えん。」
「それでもやっぱり、ノエ公国がある限り大丈夫なんじゃないかな。」
「ノエがあるから、なんてのは何の根拠にもならんよ、キーシャ。むしろ逆だ。タッツリアの今の皇帝ルーン2世、こいつはかなりのやり手だぜ。
『ノエ公国にうまくあしらわれてる』ような今の状況は彼にとってかなり屈辱的なはずだ。この機会に、ノエを利用しクルーザンを滅ぼしてやろうって画策してるんじゃねえかな。」
「よくわからないよ。」
「きっとノエの弱みにつけこもうとするはずだ。ノエを脅してクルーザンへの入り口が開かれれば、今クルーザンは混乱しているからな。
きっと容易くクルーザンを手中に収めるだろうて。まあ、具体的にはわからんが。」

スタンシャンパイアはさらにつづける。

「今までどんな戦乱の世にあってもノエは生き残ってきた。だからこれからもノエは生き続ける。それが常識になっている。しかしそんな常識は幻想にすぎん。
いいか、キーシャ。人々の“当たり前”にばかり目を向けてちゃ、足元をすくわれちまうぞ。」




「つまり、ノエの弱みってのがサラ王女だったってわけだ。」

キーシャが言うと、シェーンは静かにうなずく。

「タッツリアの者がサラ様を誘拐しようとしている、という情報がありました。サラ様は“ノエの至宝”として国民にとても人気がある。
国王も溺愛していらっしゃる。彼女が人質にとられるわけにはいかないのです。国内にいては危険だと国王が判断なさったので、私たち最低限の護衛だけがサラ様をお守りし、
事態が収束するまで国を離れることになりました。」

確かに、少女がサラだと気づいた理由の一つは、“ノエの至宝”という言葉にぴったりな、少女の美貌のせいもある。あれほどまでに美しければ、さぞ国民の人気も高いであろうと思われた。
シェーンはサラ付きの護衛兼近衛隊の隊長なのだとか。

「あなたはかなり強いという噂を窺いました。それにあらゆる戦に参加していらっしゃるから、きっと心強いだろうと思ったのです。」
「なるほどねえ。」

キーシャがうなずくと、シェーンは「それは建前でしてね。」と笑う。

「私達は、サラ様の護衛である前にノエ公国の家臣です。私たちは何よりも「国」を守らなければならない。
もしかしたらとても不本意な選択をしなければいけない日がくるかもしれない。だから、「サラ様自身」を守ってくれる方がいてほしかったのです。」

シェーンの言い方はかなり遠まわしではあったが、彼女がサラをとてもとても大切に思っていることが、痛いほどキーシャには伝わってきた。

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