第四話


「それで。そのなんとか伯のところに着くまでどれくらいかかるの。」

麻袋をごそごそと言わせながらキーシャが先頭のシェーンに声をかけた。
サラが目を覚ましてから、三日が経っている。一行はサラが目を覚ますとすぐに旅立った。追われる身である彼女たちが同じ場所にいつまでもいるのは愚策だろう。
それから三日間歩きに歩き続けている。幸い今まで、敵に遭遇してはいない。
一行が目指すのは、ノエ公国の南、パブロン山脈をさらにさらに南に下った山奥にある、「イキストエフ伯」とやらの館であるらしい。
イキストエフ伯は旧家の生まれで、王族との親交も深く、事態が落ち着くまでは彼の世話になるように、というのが国王の仰せであるのだとか。

「そうですね、このペースだと一週間くらいでしょうか。」

シェーンが答える。やはりそれくらいはかかるか、とキーシャは嘆息する。なにせ、サラがいるのだ。これほどまでに険しい山道を歩くのは彼女にとって初めての経験だから、
歩みはどうしても遅くなる。一行のペースは遅遅としていてなかなか進まない。それでも今まで城から出たことのなかったサラからしてみれば、大変な道のりであった。

「サラ。」

キーシャは彼女の少しだけ前を歩く少女の名前を呼んだ。キーシャは王女の事を「サラ」と呼んでいる。
ノエの人間でもなければ、自分の国すらも持たない彼女にとってサラは「王女」でも「お嬢様」でもなくただの「サラ」なのである。
サラは聞こえてなかったかのように反応を示さない。三日間、この調子である。

サラはキーシャを護衛として連れて行くことに強く反対した。それでもしぶしぶ納得したのはシェーンの強い説得があったこと、
それからキーシャの戦闘技術の素晴らしさを他の兵士たちから聞いたからであった。
どうやらサラがキーシャの事を良く思わない理由は単に印象が悪かっただけではないようである。
彼女は、「傭兵」という仕事を快く思っていないのだ。サラはシェーンにこう言ってみせた。

「私は戦争なんか大嫌いよ。だから、それを仕事にしている人もきらい。どの国に忠誠を誓うこともなく、勝ちそうな戦に出て、人を殺して、お金をもらうんでしょう。
そんなのどう考えても野蛮だわ。」

サラはまた、キーシャに対してもその姿勢を隠そうとはしなかった。

「今は非常な事態だからあなたの手を借りる。よろしくお願いします。でも、私はやっぱり傭兵のあなたを尊敬だなんてできないわ。」

そうきっぱり言って見せたのだ。
キーシャとしてはそこまではっきり言われてしまえばいっそすがすがしくあり、むしろ好ましいとさえ感じた。それでも、彼女の敵対意識を前にやりづらさを感じずにはいられない。

「サラ。」

もう一度根気よくキーシャはサラの名前を呼ぶ。「なにかしら。」なんて振り返る顔は、確かに美少女だったけれど、なんて小憎たらしいんだろう!
キーシャは心の中で歯ぎしりしながら、「これに履き替えな。」と麻袋から取り出した獣の皮で即席のブーツを作り、それを差し出した。

「そんな重い靴を履いてるから、よけいに歩くのがつらくなるんだよ。」

サラに用意された靴は、確かに頑丈で彼女のほっそりした足首を守ってくれはするだろうが、山歩きをするにはあまりにも重すぎる代物だった。
そんな靴を履いているから、ただでさえ慣れない山歩きがより辛いものになるのだ。

「いらない。別に、困ってないわ。」

サラは強がって見せたが、実際のところ、足は痛くて痛くてたまらない。頑丈さと引き換えに柔軟さを完全に放棄したサラの靴は、疲労した足首を十分に締め付けている。

「ほんっと、素直じゃないし、かわいくない・・・。」

キーシャは呟いた。もちろん、ちょっと前を歩くサラに、ちょうど聞こえるように。

「うるさいわね。」

もう一度振り返って、サラはきっ、とキーシャをにらみつける。
「おー、怖い。」キーシャは口笛を吹いて見せる。もう、完全にからかうつもりだ。


キーシャからしてみれば、このノエの集団というのは本当に「自然の中で生き延びる」ということを知らなかった。当然といえば当然かもしれない。
彼等はずっと、堅牢なノエの城の中で生きてきた人間たちなのだ。戦闘でいえば、兵士やシェーンはいくら鍛えているからといっても、
平和なノエの中で暮らしてきたせいで実戦の力に欠けている。いくら闘技場で型どおりの試合を繰り返していたとしても、実戦での技術は実戦においてしか培われないのである。
まあ、それでもシェーンがかなりの手練れであることがキーシャには分かったけれども。
とりあえず、当座のところ一番キーシャの頭を悩ませたのは、「サバイバル力」ってやつだ。とりあえずキーシャは兵士たちの重装備を外させた。
襲撃があるかもしれない身で一番大事なのは身軽さである。重そうな鎧をつけていても死ぬときは死ぬのだ。それなら出来るだけ軽い装備でいたほうがよい。
それからキーシャは、彼らの大層なテントも捨てさせようとした。
どう考えても行軍において邪魔だったし、夜の襲撃にそなえてテントなど使わない方がいいに決まっている。
それでも、「サラ様を地面に寝かせるわけにはいかない。」と兵士たちが食い下がったので、サラのための小型のテントを持つことだけは許可した。
当の本人は「別にかまわない」と言っていたのだけれど、兵士たちが断固として聞かなかったのだ。
こうしてキーシャの手によって、ちょっと前まで「お忍びの貴族」然とした空気の抜けなかった一行は、「美少女を連れたちょっとあやしい旅団」くらいに様変わりしたのである。
また、持っていた食糧の配分を考えない兵士たちに、魚の取り方や獣の仕留め方、食べられる木の実の見分け方を、
それから敵から素早く身を守る方法、そういったものまでキーシャは一から教えなければならなかった。


「痛っ!」

キーシャの目の前でサラが足を踏み外す。キーシャは「ほうら」と得意げに鼻を鳴らしてやったが、存外痛そうなので「大丈夫か。」と肩に手をやる。
するとサラが「うるさい。」とその手を払う。
しょうがないなあ、という感じでキーシャはため息をついた。

「そんな重い靴履いてたら、いつまでも目的地につかないじゃない。」

サラはキーシャを振り向いて、やっぱり挑むようににらんだ。「おお、本格的に嫌われ始めている」と思いながらもキーシャは続けた。

「サラは王女だからな。みんなの足を引っ張っていても別に気にしないよな。そうだよな、皆サラのために命かけてるわけだしさ。」

サラ王女は基本的に、人にやさしいのだ。キーシャに以外は。王女だからといっておごることもないし、自分の立場に固執することなく最善を選べる人だった。
兵士たちに対しても親切さと威厳さを失わずに接することができるからこそ、彼女はこんなにも兵士たちに人気がある。
キーシャはその「親切さ」が施される範囲に自分だけいないのに若干の不満を感じつつも、そこをちょいとついてやる。サラは、自分が一行の重荷だと感じているに違いない。
そもそも「サラを守るための一行」なわけだからその感情はちょっと矛盾しているのだけれど、それでもサラは確かにそう感じているはずだった。
もしこれが輿なんかに入れられて運ばれていれば、彼女は兵士たちの苦労も知らずに呑気でいられたかもしれないけれど、今彼女は兵士たちと同じように歩いていて、
だからこそ自分の「存在」を意識せずにはいられない。

サラはやっぱり悔しそうにキーシャの方を見ていたけれど、やがて無言でキーシャの手から皮のブーツをもぎ取って、履き替えた。
シェーンが前の方で苦笑いをする気配がする。「軽い・・・。」と思わずサラが呟いたので、キーシャは大満足だった。
大満足ついでにサラの髪をくしゃっと撫でてやろうとしたら、その前に手をはたかれる。はたかれた、その時の事だ。


他の誰よりも一瞬早く、キーシャが殺気に気がついた。払いのけたサラの手を今度は強引につかんで引き寄せる。
すると、先ほどまでサラのいた場所に、矢が刺さった。もう一本、今度はキーシャの方へ飛んできて、キーシャは左手に持った槍でその矢を薙ぎ払った。

「ばか野郎。王女にけがはさせるなと言っただろう。」

襲撃者の頭らしき男が叫ぶのが聞こえた。その後すぐに、四方から四人の男が襲いかかってくる。

「いいか、王女は生けどりにしろ、傷つけるな。あとは殺してかまわん。」

男はさらに言う。彼は、まっさきにサラを抱え込んだキーシャのほうへ飛びかかってくる。キーシャは久しぶりの戦闘に身を奮い立たせた。
別に特別楽しいわけではなかったが、それでもやはり戦いの中が自分の居場所なのかもしれない、と刹那に思う。
サラを背にかばいながら、キーシャは流れるような身のこなしで相手の剣の刃の応酬をかわすと、無駄のない動きで、槍の背の部分をトン、と男の鳩尾にうちつけた。
男は「ぐわ」と蛙が潰れたような声を出して、仰向けに転がる。その一瞬を逃さず今度は彼の肩にぐっさりと槍をつきつけた。
どうせ殺しても次から次へ襲撃者は湧くであろうから、無駄な殺生は避けたい。それでも追けられるとマズイので、尾行が出来ない程度の傷は負わせねばなるまい。
男が肩を刺されて退避していったので、襲いかかってきた違う男も同様に適度な傷を負わせる。
もう一人は護衛兵士達4人がなんとか、そしてもう一人はシェーンがなんなく撃退した模様である。

「さすが赤猫だ。」

シェーンは額にうっすらかいた汗を拭いながら笑った。

「讃辞はいいから先へ急ごう。相手に現在地点を知られてしまっている。」

突然の襲撃に蒼白になっているサラの手をとり、足を速めたキーシャと一行は、イキストエフ伯の館に急ぐのだった。

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