第五話


あと一日でイキストエフ伯の館に着こうという夜に、二度目の襲撃にであった。

昼は、やはりサラとキーシャはちょっとした喧嘩を交えたものの(キーシャはあくまで「からかっただけ。」と主張したけれど、客観的に見て、からかっただけにしてはキーシャも本気になって言い返す場面が多々見られた。)
概ね平和に歩きつめて、森の中の比較的開けた場所を見つけ出すと、そこを野営の場所に決めて早速準備を始める。
相変わらずキーシャに対するサラの反応というのは冷たいものがあったけれど、キーシャの腕が確かであるのは先の襲撃で認めざるを得ないところであったし、
サラの態度も大分軟化してきていると言えた。
先日キーシャの戦いぶりを目の当たりにした兵士達はキーシャの事を憧憬の目でしばしば見つめた。
それでも、キーシャは意外と気さくで誰に対しても態度を変えることがなかったし、彼女が実はサラの次に年若かったことも手伝って、
兵士たちは「獣狩りの師匠」と気やすく、半ばからかうかのようにキーシャの事を呼ぶのだった。
この日も一番若い兵士、位は少尉になる男が「師匠見てください、小鹿を仕留めました。」なんてキーシャに自慢げに報告をし、その小鹿を腹の中へおさめて一同は休眠に入ったのであった。
キーシャは、テントに入ってサラの脇に座り込むような形で休眠をとった。この役目は本来シェーンのものだったが、今日はシェーンが見張番なのだ。少人数しかいないので、
このさい上下関係や部内外者の関係は無視して、平等に交替で見張りに立つことになっていた。サラはキーシャに対して警戒気味だったけれども、背に腹は代えられない。
何も言わずに即席のベッドにもぐりこむ。

日はとっぷりと暮れて、宵も深まった時であった。
ひんやりと静寂につつまれる夜気を切り裂くような「敵だ!」というシェーンの鋭い声が聞こえて、キーシャはぱっと眼を覚ますと、素早く肩にたてかけた槍をつかんだ。
サラはおびえて、とっさにキーシャの手を握る。このさい、キーシャの事は嫌いなのだとか、そういったことは忘れたらしい。性格的なところはともかくも、彼女を頼っているのは間違いないのだ。
キーシャは今までの戦いで鍛え上げた戦闘感覚を駆使して、テントの外の襲ってきた相手の状況を読み取る。
この間よりもずっと人数が多く、それでいて、もしかしたらずっと手練れであるかもしれなかった。サラを守りながら戦うのは不可能かもしれない。咄嗟にそう判断したキーシャは、
サラの手を引いて木がうっそうと茂る森の中を突き進んだ。
しばらく走ったところで、サラが「待って。」と叫んだ。止まっている場合ではない。無視をしようとしたけれども、サラがあまりに悲痛そうに叫ぶから、仕方なくキーシャは足をとめる。

「このまま逃げてしまえば、他の兵士やシェーンはどうなるの?」

サラが息を切らしながら苦しそうに言う。

「サラ、あなたを守ること、今でいえば逃がすことは私の仕事なんだよ。」

キーシャがため息交じりに言うと、サラが「そうじゃなくて。」とキーシャの二の句をつぐませた。

「他の兵士を見捨てて逃げるというの。」

サラは、まっすぐキーシャの真赤に燃える瞳を見つめた。
あたりはいっそ気味が悪くなるほど静かであった。
キーシャは少し考えるようにこめかみに手をやってから、諦めたように言う。

「戦いのために死ぬ。それが兵士の仕事だ。」

キーシャの声は当たり前のことを口にするかのような、穏やかな何気ない口調だった。それでも、いやだからこそと言うべきか。死ぬ、という直接的な言葉がサラを激情させたらしい。 彼女は声をあらげる。

「さすが傭兵ね!自分が生きていて、報償に見合うだけの仕事をしていればいいなんて!他の人間が死のうが、どうなってもいいんでしょう。」

キーシャは何も言わなかった。ただ一瞬、悲しそうな炎が瞳の中にゆらりとたゆたうのを、サラは見た気がした。
いつものからかうような表情が影をひそめ、不自然なほど表情を消したキーシャを前に、サラは若干の動揺を感じつつも「とにかく戻りましょう。」と譲る意思がないのを誇示した。
キーシャはだいぶん―そうサラには思われたが実際は一瞬だったかもしれない。―考えこんでいたが、「しょうがない。」と呟いた。

「ただし、サラ、あなたを連れては戻らない。ここに隠れてて。」

と手近にあった茂みにサラを隠す。サラはまだ何か言いたげであったが、何も聞かないよ、というそぶりをしてキーシャはすぐに走り出した。
さっきの何倍もの速さでとって返しながら、キーシャはサラの蜂蜜色がかった茶色い、とても意思のこもった美しい瞳を思い返していた。

野営地に戻ると、案の上シェーンたちは苦戦していた。
キーシャの存在に気がついた男たちがすぐさまキーシャに襲いかかる。何人敵がいて、誰が苦戦しているのか。
そういった状況を把握する余裕も与えられないまま、キーシャは戦いの最中に巻き込まれていく。


終わってみれば、辺りの惨状は目を覆いたくなるものがあった。キーシャやシェーンの善戦によってなんとか敵を追い払ったはよいものの、テントは壊され、荷物も荒らされている。
おそらくサラを探したのだろう。キーシャのとっさの判断がなければ、サラはさらわれていたかもしれなかった。それに、もしキーシャが救援しなければ全滅は免れ得なかったであろう。
そして何よりも痛手に思われたのは、隊員を一人亡くした事だった。おりしも彼は、昼間キーシャに向かって「小鹿をしとめました。」と無邪気に笑ってみせた若い少尉であった。
彼の傍で死を悼むシェーンにキーシャは「サラを迎えに行ってくるよ。」とだけ告げて森に入る。シェーンは歯をくいしばり、他の兵士は小さな嗚咽をもらしていた。
彼らにとって、犠牲は新鮮なものであったのだ。

キーシャはただ淡々と森を歩き、茂みのところまで来ると「サラ。」と声をかけた。
サラが、怯えたようにひょっこりと首をだす。

「終わったよ、もう大丈夫。」

ひょいひょい、と手まねきする。サラは出てきて服の裾の枯れ葉を払うと、意を決したように言う。

「敵は皆追い払ったの?」

キーシャは、サラが言いたいことをきちんと理解していた。
このあまりに美しい王女は聡明だから、テントの外から感じた殺気から、こちらが何の犠牲もなしという風には考えられなかったに違いあるまい。

「少尉が、なくなられた。」

若くして少尉だった男の訃報を静かに伝える。
泣き叫ぶほどサラは非理性的でも、また幼く愚かな王女でもなかったから、彼女はそっと目を伏せて何も言わずにキーシャの後をついてきた。


死体を運ぶことはできるはずもない一行は、少尉のささやかな墓を作ってから、夜が明けるのを待たずにすぐに出発することにする。
イキストエフ伯の館はあと一日たっぷり歩けば着くのだからもうテントは必要なかったし、一行は荒らされた荷物の中から必要なものをまとめると速やかに彼の館に向かった。


一行は陽気とはとても言えない空気の中歩いていた。サラの顔は明らかに沈んでいたし、シェーンはいつにもまして無表情であった。
兵士たちは仲間を一人失ったことでより士気を高めていた。失われた少尉の分も、自らの任務を完了させんとする意気が、彼らの表情を引き締めていた。
一行の気分を代弁するかのように天気がすぐれることはなく、ついには小雨が降り始める。
そんな中キーシャだけは、やはりのらりくらりとしている。まかり間違っても鼻歌交じりに歩くようなことはなかったけれど、彼女は悲しみにくれるでもなく、
いつもどおりの、風が凪いでいるかのようなのんびりしたおだやか空気を身にまとっていた。いや、そのようにサラには思われた。
それはキーシャがよくも悪くも「戦闘に慣れきっている」という事を証明していたが、人の死を前にしても顔色一つ変えないキーシャに対してサラは反感を覚えずにはいられなかった。
しかしこのとき聡明な王女は、人の死に慣れるなどということがはたして幸福なのか、ということに思い当たることができなかったのである。


当のキーシャは、無言の一行の中を、雨に打たれながら「いやな予感」と共に歩いていた。
目的地にもう少しで着くのはありがたいことだけれど、それにしても到着の前日の夜に襲われるとは・・・。キーシャの中で、警戒を知らせる鐘がけたたましくなっている。


そうしてそれぞれの思いを胸に、一行はイキストエフ伯の館に到着したのだった。

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