お姫様



私は彼女と居るととても幸福で、それでいてとても苦しい。
彼女は穏やかな人で、優しい人だった。そしてその誰にでも向けられる優しさは、とても自然なもので、
当人はそれに気づいていなかったりする。困っている人がいれば手助けをし、傷ついた人がいればそっとそばにいる。
そういうことを、意識することなく出来る人なのだ。そんな彼女は当然、私にとってだけではなく、クラス、いや、この学校の人々にとってあこがれだった。
私はそんな彼女が私の事を親友という場所に位置付けてくれていることをとても誇らしく思っていたし、
私の気持ちは純粋な友情なのだと信じて疑わなかった。

私が、なぜだか消える事のない息苦しさの正体を知ったのは、文化祭の役決めの時だった。
女子の何人かは彼女を王子役にしようと画策しているのだと聞いた。画策というとなにか陰謀めいた感じがするけれども、
女の子たちは純粋に彼女に好意を寄せているだけだし、クラスのほとんど全員が王子役は彼女しかいないだろうと思っていた。
私も、とても適役に思えた。しかし、彼女が目立つことを嫌う性格なのはよく知っていたから、やってくれるのかどうか、
このときはまだ観客のような気分で状況を見守っていたように思う。
他人事ではなくなってしまったのは、お姫様の役を決める時のことだ。わたしが、お姫様の役に推薦されてしまったのだ。
次々と賛同者が現れたから、断るに断れなくなってしまった。特にこれといって断る理由がないので、やってもよいかなあと思った。
それに、人前に立つのはあまり好きじゃないけれど、演劇をするのは楽しそうに思えた。だから私は二つ返事で了承した。
すると、それまで渋っていた彼女があっさりと、じゃあ私も王子役をやってみようか、と言い出した。
私たちが了承すると、クラスのみんなもいよいよ乗り気になってきて、クラスがまとまるように感じられて、
私は引き受けてよかった、と心から思った。
話し合いが終わった後、彼女が私の方へすっと寄ってきて、少し照れくさそうに右手を差し出した。
なんだろう、と思って彼女を見つめると、今度はにっこり笑って、「よろしくね、お姫様。」
私は嬉しくなって、彼女の手を握った。
彼女の手は少し冷たかった。でも、温かかった。
その時に、とても自然に、私は気づいたのだった。
ああ、私は彼女の事が好きなのだな。と。

私たちのクラスの団結力は素晴らしかった。夏休みに入ると、何度か集まってみんなで練習した。
いやな顔をする人は誰もいなかったし、みんなが楽しんでいたと思う。
私は主役というプレッシャーからか堅くなってしまうことが多かったのだけれど、
そんなときは決まって彼女が周囲を盛り上げてくれるのだった。
みんなが笑い、そして彼女が笑っている。そのことが純粋に嬉しくて、
私の彼女への思いがどんどん大きくなっていくのを確かに感じていた。

ある日、彼女がちょっと緊張した面持ちで私のところにやってきた。不思議に思って、
「どうしたの?」と聞いたけど、「別に特に用事はないんだけれどね。」と照れくさそうに笑った。
彼女はなにかを自然にやろうとすると、どこかギクシャクしてしまうところがある。嘘のつけない人なのだ。
ふうん、と頷いて彼女が何かを話し出すのを待っていると、彼女が唐突に聞いてくる。
「ねえ、最近何かいいことがあった?」
「いいこと?そうだなあ。そういえば最近天気がいいから、気分がいいね。」
「いや、そういうことじゃなくてね。ほら例えば、恋をしているとか。」
彼女はこのときとても真剣に私の事を覗き込んでいたので、これが聞きたかったのだなあと、気がついた。
と同時に、私は悲しくなった。
まず第一に、彼女が私に向ける感情は純粋な友情であると改めて気付かされたことに。
そしてもうひとつは、私はこのたった一つの大切な気持ちを、一番大切な人に伝えることが出来ないことに気づいたからだった。
私はその悲しみを隠すように、「ううん。なんで?」と聞く。質問で返したのは、やっぱりうまい返答が思いつかないから。
「え?いや最近さらに美しさに磨きがかかったというか・・・。ほら、恋すると綺麗になるっていうし。」
彼女は照れ屋のくせに、こういう歯が浮く言葉をさらりと言う。自覚がないのだ。
私は純粋に嬉しかったけれど、やっぱり悲しくて、それを悟られないようにそっと目をふせて「ありがとう。」と呟いた。

文化祭本番が近付くにつれて、私の緊張は高まっていった。やはりみんなで作り上げてきた劇なので、いいものにしたいという強い思いがあった。
しかし、私は緊張するとより動作が静かになって行くから、みんなに落ち着いているね、とよく言われる。
舞台そででいよいよ始まろうという時。彼女も私に、「落ち着いてるなあ。」なんて笑ってみせた。
そういう彼女の方がよっぽど落ち着いていて、鷹揚な人間に見える。
私はちょっと笑い返してから、「でもほら、手が震えているのよ。」と彼女の眼の前に右手をかざして見せた。
彼女はちょっと驚いてから、「本当だ。」とまたほほ笑んだ。それから、自然に私の右手を手に取るとぎゅっと握ってくれた。
そして、「絶対に成功させようね。大丈夫だよ。」とさらに私の手を握る右手に力をこめた。
彼女の手はやっぱり少し、冷たい。でも、やっぱり温かいのだった。
その時右手と一緒に私の心臓はきゅっとしめつけられた。私は、隠しきれないほど彼女への思いが募ってしまっているのを感じた。
それでひとつだけ決意をしてから、彼女の手を握り返して笑い返して見せた。
私はこのとき彼女に対して微笑むことができた自分だけは、ほめてやりたいと思う。

王子様
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