第十二話


ふんわりのバター・スコーンと根菜たっぷりのコンソメスープ。
あっさりとした鳥の蒸し焼きにブルーベリーソース、それからデザートは蜂蜜パイ。
テーブルの上にはところ狭しとそうした料理が並べられている。
うららかな陽がさす青空の下のその丸いテーブルを、サラとエミリア二人で囲んでいた。
どの料理も素晴らしく、サラの舌を楽しませてくれる。
空の下で何かを食べるという経験はサラにとっては新鮮なものだったので、その味はまた格別である。外で食べることを提案したのはエミリアだった。
キーシャがここから一番近いクルーザン共和国の町におりていていないので、少し気分の沈んでいるサラを元気づけようとしたのだ。
キーシャが町におりているのは買い出しをエミリアに頼まれたため、そして現在のノエ公国の現状に関する情報を手に入れに行くためだった。
エミリアの住まうこの場所はパブオン山脈の最中にあったけれど、一番近いクルーザン共和国の片田舎までは一日と少し歩けば着くくらいの位置にある。
キーシャが戻ってくる頃には、サラの体調も万全になっている事だろう。


山奥で食事をするには豪勢な料理に舌鼓を打ちながら、ふとサラは気になっていた疑問を口にした。

「エミリアはここで一人で暮らしているの?」

エミリアは鳥の蒸し焼きを手際よく切りわけながらその問いに答える。

「ええ、今はね。」

その表情にそれ以上は質問しにくい何かを感じて、サラは口を閉ざしてしまう。
別段何かを拒んだわけではないのだけれど、とエミリアはちょっと困ったように笑ってから、今度は逆にサラに話しかける。

「キーシャと仲が良いのね。キーシャが誰かをここに連れてくるなんて初めてのことなのよ。あの子誰にでも親切だけれど、一線を引いているもの。驚いた。」
「仲、良いかしら。」

ちょっと怒ったような顔をするサラ。それでもその表情には嬉しさを隠し切れていなかった。
しかしサラはすぐに、少しだけ落ち込んだような顔になってしまう。
王城で大切に育てられた美しい少女は、とても素直でまっすぐに育ったので、彼女自身が気づいておらずともその感情は表情から透けて見える事が多々あった。

「でも、私キーシャの事よく分からないわ。あんなに強いんだもの、彼女は望めばどこかの軍に入ることだってできるじゃない。
その方がちゃんと安定したお給料だってもらえるし、彼女なら出世できると思う。それなのに傭兵を仕事にしているし。
彼女は何時だって冷静で、誰に対しても平等だけど、彼女は実は他人には大して興味がないんじゃないかと思うの。きっと私にも興味がないのだわ。彼女は多分一人で生きていきたいのね。」

そうやって一息に言ってから、サラは黙り込んでしまう。彼女はまだキーシャが傭兵という職業についていることを疑問視している。
穏やかな顔で聞いていたエミリアは、言い終わった後の口を真一文字に結んだままのサラを見て、ちょっと嬉しそうに笑った。

「あの子にはあなたみたいな人が必要なのだわ、サラ。」

サラとは正反対にごくごく明るい声音でそういったエミリアは、バター・スコーンに甘酸っぱい木イチゴのジャムをたっぷりと塗ってサラにさしだす。

「少し、昔話をしましょうか。」

木イチゴジャムで赤く輝くスコーンを手に取ったサラが顔をあげると、相変わらずのおだやかな笑顔がそこにあった。

「さっきサラは私に一人でここに住んでいるのか聞いたわね?」
「ええ。」
「今は一人なのだけれど、昔は二人で住んでいた。・・・そんな顔しないの。キーシャじゃないわよ、一緒に住んでいた相手は。」

くすくす、と笑うエミリア。

「一緒に住んでいたのは、タンギってオトコ。私の弟よ。」











まだごく最近の話なの。ああ、それでも、もう6年になるのね。
私とタンギは、もともとこの大陸の人間じゃないのよ。私たちが元々住んでいた場所は、とても戦乱の激しいところだった。弟、といっても血はつながっていないの。
私はまだ当時7歳だった。港から出た今にも沈みそうな船になんとか乗り込んでこの大陸にやってきたのだけれど、その時難民がたくさん乗った船の上で泣きじゃくるタンギに出会った。
彼は逃げてくる間に、たった一人の肉親だった姉とはぐれてしまって途方にくれていたわ。
だから、私は自分がかわりに彼の姉になることに決めたの。

私たちは比較的穏やかなこちらの大陸に越してきて、この場所で一緒に小屋をかまえて暮らし始めた。たまに町に下りたりもしたし、その町の人も優しかったから悪くない暮らしだったわ。
タンギは私の自慢の弟だった。気の良い男だったし、ちょっと子供っぽいところがいつまでも抜けなかったけれど、とても情に厚くて優しかったから。
タンギは剣の腕が自慢でね。12の時には傭兵としていろんな軍に出入りするようになって、瞬く間に腕と名を上げていった。私は彼に正式に従軍するように勧めたのだけれど、
タンギは傭兵でいる事にこだわったわ。私にはすぐにその理由が分かった。
彼は自由な身で色々な場所を旅したかったのよ。それで、実の姉を探し出そうとしてたんだわ。
彼の実の姉はなかなか見つからなかったようだけれど、ある日タンギはこの小屋に一人の女の子を連れ帰ってきた。彼とちょうど同じ年の頃の女の子。

それが、キーシャだった。

ふふふ。当時のキーシャは、捨てられた子猫みたいに傷ついて、無口で、無愛想で、ふれたらこちらも、そしてキーシャ自身も傷ついてしまいそうな、そんな具合だった。
タンギは妙におせっかいだったから放ってはおけなかったんでしょうね。二人は喧嘩しながらも、無理やりタンギが彼女を引っ張って連れてきたみたいだった。

当時からキーシャの名も結構知られていたのよ。年が同じころだったせいね、キーシャとタンギは当時の武人達の間じゃよく並べて話題に出されていたみたい。
いわく、まだ若いのに恐ろしく強い小娘と小僧がいる。赤猫と、狂犬だ!ってね。タンギは戦となると人が変ったように暴れるから、「狂犬」なんて呼ばれてたらしいのだけれど。
とにかく、ある戦で顔を合わせた二人は、お互いなんとなく意識しながらその日の戦績を争ったそうだわ。
いや、キーシャは最後まで「私はこんな男の事なんか目の端にも映っていなかった!」って言い張ってたけれど。

後々分かったことなんだけれど、その時のキーシャが精神的に荒れていたのは、当時彼女のお師匠さんが亡くなられた直後だったからみたい。
私たちは彼女のお師匠さんに会ったことはもちろんないのだけれど、彼女は物心ついた時からその人と二人きりだったと言っていたから、
彼女にとってそのお師匠さんがどれだけ大切な存在だったのかは想像に難くないわよね。

最初こそ無愛想だったキーシャも、年月を重ねるうちにだんだん心を開いてくれるようになった。私ともタンギともとても仲良くなったわ。
私たち三人は誰も血がつながっていなかったけれど、まるで本物の家族のようだった。本物の家族に劣らないほど、深くお互いを信頼していたし愛していたの。

特にタンギとキーシャは戦乱の中での相性が抜群によかった様で、よく一緒の戦に出るようになった。きっと二人の戦う腕のレベルが同じくらいだったおかげね。
タンギはよく、「俺の背中を任せられるのはキーシャだけだ。」って言っていたわ。キーシャも口にこそ出さなかったけれど、同じことを思っていたはずよ。
そのころには、出会った当初のキーシャの姿は影をひそめて、親切で、気やすい女の子になっていたわ。
でもやっぱり、私とタンギはキーシャの胸の奥に根を張る孤独について感づいてはいたし、なんとかしてあげたいと二人で話すこともあったけれど、私たちにはどうすることもできなかった。
それでも、少なくとも出会った当初よりは心を開いてくれたように、このまま年月を積み重ねていけばその孤独がいつか癒されるだろうと信じていたの。


それは、結局かなわなかったのだけれど。


どのような戦に出るのか、という議論でキーシャとタンギがもめる事がよくあったわ。キーシャはあくまで勝てる戦に出る事を主張した。
彼女は戦況をひっくり返すだけの実力は十分に持ち合わせていたけれど、自分の利益を常に考えていたし、それを優先させていた。
負けることが怖い、とかそういうことではなく、他人のために無駄に苦労するという事が彼女には理解できなかったのね。
どんな国が戦っているか、どんな将軍がその軍隊を率いているのか、どんな兵隊がその軍にいるのか、どんな思惑がその戦には絡んでいたのか。
そういう一切の事にキーシャは興味を示さなかった。
彼女が興味のあることといえば、自分の力量をその戦に加えた時果たして勝てるのかという事、それから礼金はいくらなのかという事、その二つきりだった。

それとは間逆だったのが、タンギなの。さっきも言ったけれど、タンギは情に厚くて、ちょっと熱血なところがあった。
彼は負けると分かっていても義理のために負け戦に赴く軍隊に感銘を受けて、敗北を承知でその戦に加勢する事だってあったし、
友人に頼まれると断れず分に合わない戦に出ることも多かった。
だから、狂犬、なんて言われつつもタンギに友人は多かったんだけれど。
タンギがそういった戦に赴くたび、キーシャは文句を言いながらもタンギについていった。
なんでそんな戦の依頼を受けるんだ!って喧嘩をよくしていたけれど、結局キーシャもタンギを放ってはおけなくて、次の日には二人そろって戦に出かけていく、なんてこと珍しくなかった。
それで、負け戦も二人でひっくり返して相手方の度肝を抜いたことも一度や二度じゃなかったみたい。


そして、ちょうど6年前。
ある日のタンギが受けてきた戦の依頼の話を聞いて、キーシャは激怒した。
それは、今までとは比べ物にはならないくらい分の悪い戦で、もしかしたら負けるだけじゃなくて二人とも死ぬかもしれなかったの。
ただの戦ではなくて、ある国の存続をかけた戦いで、白旗を上げても残党狩りをするって予想されていたから、気軽に引き受けていいものじゃなかった。
タンギは友人に頼まれたから断れないと言った。友人はその戦に出るという、友人が命を張るならば俺も張らねばなるまい、と。
タンギはキーシャまでこの戦に付き合う必要はない、と真剣な顔で語っていた。
最初反対していたキーシャもいつにも増して真摯なタンギを見てついに折れたみたい。
やっぱり放ってはおけないからと、キーシャもその戦に向かったわ。


詳しいことは、私にもわからない。

ただ、戻ってきたキーシャは過去にないほど傷ついていて、血みどろだったこと。
その肩には、息絶えたタンギを担いでいたことだけ。
彼女は私のために、そしてタンギのために、傷ついた身体でタンギの、もう息のないその身体をこの小屋まで運んでくれたの。
血みどろに濡れたキーシャの、そのどんよりとした血液色をした瞳を見て、キーシャが初めてこの小屋にやってきた時の事を私は思い出していたわ。
タンギの死を悲しむとともに、私はキーシャがまたあの頃のように自分の中に閉じこもった、よわよわしい姿になってしまうのかと悲しかった。
私たちが積み重ねてきた時間が一気に崩れさってしまうんじゃないかって、怖かったの。
でも、違った。キーシャも大人になっていたのね。彼女は悲しみをごまかす方法を学んでいた。いや、人からそれを隠す程度には器用になったというべきかもしれない。

タンギを埋葬した後に、私に向かって弱弱しく微笑んだキーシャを見て、私は彼女の中の孤独が、もうどうしようもないくらい根深くなってしまって、
私にはどうすることもできないんだ、って悟ったわ。
とてもキーシャを遠く感じた瞬間だった。私は静かに、ああキーシャの心にもう私の手が届かないんだ、と思った。
キーシャはただ一人でもがき苦しんでいた。

ただひたすらに泣く私を見てキーシャは抱きしめてくれたし、なぐさめてくれた。
もちろん、私はタンギの死を悲しんでいたのだけれど、またそれと同様にキーシャの心が私の手には届かないほど遠くなってしまったことにも、同じくらい悲しんでいたのよ。

後から聞いた話だと、戦はやはり負けたみたい。それも、タンギに戦の依頼をしたその友人の裏切りがきっかけで、ってことだった。

それから、キーシャは絶対に誰かのために戦うことはしなくなった。元からそういうスタンスだったのだけれど、その徹底ぶりは目を見張るものすらあったわ。
彼女が彼女の槍を振るう時、自分が食べていくためのお金を稼ぐ時だけ、と決めているみたいだった。
多分、彼女はあの日から戦う事が怖くなったんだと思う。でも、キーシャはよく言っていたわ。「私は槍を振るう以外の生き方がわからないし、想像もつかない。」ってね。
だから、彼女は戦わずにはいられない。そして、自分一人のためだけに槍を握ることにしたのだと思う。









それって、すごく悲しくて、さみしいことだと思わない?




そう言ってささやかな微笑みをもらすエミリア。
ごく穏やかな微笑だったが、目にはたくさんの涙がたまっていて、耐えきれなかったかのように一粒だけぽろり、と雫がこぼれてテーブルの上に跳ねた。
サラはどうしたらよいか分からず、とりあえず握りっぱなしだったスコーンを皿の上に戻してからエミリアの手を握った。
少しでも元気づける事ができれば良いと思ったが、成功しているのかサラには全くわからなかった。

「あなたみたいな人が必要っていうのは、つまりそう言う事よ。私はあの子の心の傷をいやしてあげるには、彼女と親しすぎるし、タンギとも親しすぎたの。
同じ傷を共有しているもの同士は、どうしたって傷のなめ合いになっちゃうもの。だからせめて私は、あの子の身体の傷くらいは完璧に治してあげようって思うのよ。」

そっと涙を拭ったエミリアは、自分の左手を握るサラの両手に、右手を重ねた。それから、いつにない真剣な目でサラの蜂蜜色がかった茶色い瞳を見つめた。






「きっとあなたのその純粋さと優しさがあの子を救ってくださるでしょう。少しでもキーシャに感心がおありなら、あの子の傷を癒してやってくれますか、サラ王女。」




BACK     NEXT

赤猫目次
topに戻る