第十四話


「良い景色だ。」

香辛料のたっぷり入った麻袋に背を預けながらキーシャが満足げに呟いた。




サラの体調が回復した事を確認した二人はエミリアのもとを離れ、キーシャが買出しのために一度おりたクルーザン共和国の片田舎に再びやってきた。
そこでは、役立つ情報を手に入れることができないのだとすでに分かっていたので、二人はクルーザン共和国の首都であるクルルスという街に向かう事にする。
そう決めると、キーシャはまず町の出入り口になっている場所までやって来て、じっと何かを待っている。
今までと同様に歩いて首都まで旅をするものだと思っていたサラは、不思議な心持ちでそんなキーシャの様子を見ていた。
やがて二人の前に、一台の荷車が通った。全体的にくたびれた様子だったし、荷車を引く二頭の老馬は町を今出ようとするところなのに、もう既に息切れしているようだった。
御者の男は三十代半ばあたりに見える無精ひげを生やした男である。
その荷車を見てキーシャはにやりと笑うと、御者台に座る男に声をかける。
そうしてあっという間に、クルルスに向かうというその荷車の後ろに、道すがら乗せてもらうという話をつけてしまったのだった。こういう時のキーシャの口のうまさは称賛すべきものがある。
サラが荷台に乗り込むのに手を貸しながら、キーシャはにっこり笑って見せるのだった。
「楽できるところは、楽しないとね。」
こうして荷台たっぷりに積まれた香辛料や薬の数々と共に、二人は首都クルルスを目指す事となったのだった。

荷車に乗っての旅は、今までの旅と比較できないくらい平坦でいて気楽な旅路だった
ガタゴトと揺れる荷台に身を任せながら、積荷に背を預ける。町を出てしばらくは鬱蒼とした森の狭い道を通っていたのだが、その森もすぐに抜けてしまった。
視界が開けると、見渡す限りの大麦畑が広がっている。
青々とした大麦畑は、どこか広大な海を彷彿とさせる。たまに静かな風がふいて麦畑の一部がゆらりとはためくのも、白い波を思わせるのだった。
遠くに山脈の稜線が見え、空はどこまでも蒼く、そして高かった。
サラは、世界というのはとても広いのだ、と思った。地図で見る山は、ただ山という名詞でしかなかったのに。この旅では追っ手に追われていた時のような険しい顔をした山もあれば、
エミリアが迎えてくれたように、優しくてたくさんの星を見せてくれる、そんな山もあるのだと知った。王城の籠の中で暮らしていた時、そんな事は全然分からなかったのだ。
サラはとても博識だったし勉強熱心だったけれど、実のところ何も知らなかったのかもしれない。だって、まさか大麦の畑がこんなにも美しく見えるのだということも、
想像だにしていなかったのだから。

サラが幾分感慨深げにそんな事を思っていると、キーシャがとても陽気な声で御者の男に声をかけた。男は無精ひげの中にある唇を真一文字に結んで始終不機嫌そうな顔をしている。

「首都のクルルスは今どんな具合だろうね。」
「さあてね。」
「なんでも共和国の政府は今大変な混乱にあるっていう話じゃない。そうとなれば、首都でも暴動の一つや二つは起こっていそうなものだけれど。」
「そんなあからさまな荒れ方をしちゃいねえよ。そもそもストラウス様の急逝だってまだ信じちゃいねえヤツが多いんだ。」
「へえ。じゃあ首都はいたって平和というところか。」
「…なんだい、おねえちゃんたちは首都に行った事がないのか。」

男は少し驚いた顔をした。キーシャは首都に足を運んだ事はなかったので、首を振る。サラは「行った事あるけれど、立派な町並みだったわ。」と声をあげた。

「そりゃ、表向きはキレイだよ。町並みもな。でも、もともとクルルスはな、平和とは少し言い難い町なんだよ。治安が良くない。
もともと三つの国に分かれていたのに一つの国にしちまったものだから、首都は色んな人間が集まってる。もともと階級の差が大きくて衝突の多い街なんだ。
裏側じゃあトラブルの絶えない街なんだよ。一見、そうは見えないんだけれどな。」

おそらく王女として町を視察したサラの目には映らなかった町の裏側というものがあるのだろう。一度話し出した御者の男の舌は次第に饒舌になってきたらしい。さらに思い出したように付け足した。

「ああ、そういえば最近さらに物騒な話を聞くな。」
「へえ。物騒って?」
「なんでも今クルルスにはかなりでかい盗賊団が住み着いてるらしいぜ。まあ、やつらは金持ちしか襲わないらしいんだがな。」

貧乏人のオレには関係ねえこった、と男は笑う。一度舌が滑らかになった男はその後クルーザン共和国における「噂」について話して聞かせてくれた。

いわく、ストラウスは絶対的な指導者で心棒者が多くその死をまだ信じていない国民も多いということ。
今政府は指導者が誰もいなくて瓦解状態にあるのだと、そういう風に言う役人がいるのだということ。
国の軍隊が政府の現状に絶望し、新しい国を作って独立しようとしている、なんて噂まであるのだということ。

噂の内容はどれもクルーザン共和国の凶事を示すものばかりだったけれど、御者の男の口調はいたって呑気なものだった。国が傾きかけている事を真剣に受け止めている国民は少ないのかもしれない。
あるいは、その不吉を嗅ぎつけてはいてもそれを認めるのが皆怖いのだろうか。
どうやらストラウスが死んだ、という事実は国民の間にも広まりつつあるらしい。今表面上は何も変わっていなくとも、国の瓦解は意外と早いかもしれない。
サラはそんな風に考え、焦りを覚えずにはいられない。
ただ、副元首まで逃げ出したという事実、あるいはノエ公国を挟んだ先にある大国、タッツリア帝国がクルーザン共和国を狙っているのだという思惑については噂にもなっていないようだ。
その事が分かっただけでもこの荷車に乗り込んだ価値は十分にある、そうキーシャは思った。なんとか取り返しがつかなくなる前に、国を統一する方向に導かなければならないだろう。
なんにしても、副元首のセンとやらを見つけ出すのが一番の近道かもしれない。彼が上に立ち国を導いてくれれば話は早いのだから。

そんな事を考えながら、キーシャがふと大麦畑のほうに目をやれば、何かが目の端に移った。それは荷車の進む先にいる。
荷車が近づいていくうちに、それが大麦畑を割って走る道のど真ん中にたたずむ人間であると分かった。最初こそ広大な畑の只中にぽつりと立っているものだから、
案山子かなにかかと思ったものだが、そいつは確かに人間だった。
進路をふさがれているので、御者の男も馬の手綱をひいて荷車の速度を緩める。

立っていたそいつは、なんというかとても奇怪な格好をしていた。羽織ったマントは赤、青、黄とさまざまな色が派手にあしらわれていてとても目立っている。
同様に奇抜な色合いをした三角帽子にはおおきな孔雀の羽根が一本、どことなく自慢げにつきささっていた。帽子から覗く髪の色というのは、明るい桃色である。

「おい、小僧、どいてくれ。」

御者が声をかける。しかし小僧と呼ばれたそいつが顔をあげると、御者は驚きの声をあげた。
そいつが、女だったからである。
イコチの実のようなまん丸な目を持った、人懐こい笑顔が魅力的な女だった。肌はキメの細かい小麦色をしている。
どことなく年齢不詳の気はあるけれども、それほど年でもないはずだし、もう少女と呼ばれる年頃でもない。女はにっこりと笑って御者の方を見やった。

「乗せてよ、おじさん。」

快活な声だった。女には、人の目を惹きつけてやまない魅力があふれている。
最初は渋い顔をしていた御者の男も、既に二人を乗せていたのを思い出したのか、あるいは彼女の魅力におしきられたのか、「乗りな。」と一言だけ言うと老馬の尻をぴしゃりと叩いた。
また荷車はゆっくりと動き出し、女はとても身軽な動きで荷台に乗り込んだ。

乗り込んだ女は、すぐに先客であるキーシャとサラに気がついた。
まだタッツリアの人間が探しているかもしれないという危惧から、二人とも布を頭に被っていた。キーシャはその赤い髪がどうしても目立ちすぎるし、サラは存在そのものが目立ってしかたがないのだ。

女はまん丸な眼で目深なフードの奥にあるキーシャの目とサラの目を覗き込んでから、またにっこりと笑った。とくに、サラの目を興味深そうにじっと覗き込んだ。
サラは何を言われるのであろうかとどぎまぎしたが、女は何も聞かずただ、「私、カンナって言うんだ。よろしくね。」とだけ言って薬樽にもたれかかる。
女の抱え込んだ荷物を見て、キーシャは思わず声をあげた。

「あんた、吟遊詩人か。」

おや、と顔をあげたカンナは相変わらずニコニコしている。女の抱え込んだ荷物の一つに、リュートがあったのだ。
吟遊詩人とは諸国を旅してまわり、人前で唄を披露する芸人のようなもののことである。彼らは諸国の政情や風土を唄に乗せて歌うことがある。

「よくわかったねえ、あんた。」
「リュートを持っていたからね。女の吟遊詩人とは珍しい。」
「確かにあんまり見ないね、女は。」

カンナは頷くと、リュートをぽろんと鳴らした。
カンナが吟遊詩人であると聞きつけた御者が興味深げにカンナの方をふりかえる。

「なんだ、ねえちゃん吟遊詩人なのか。そのなりじゃあ、道化師か何かかと思ったがね。唄が得意なのかい。」
「そうだね。乗せてくれた礼に何か歌おうか。」

御者は唄が聞けると知って上機嫌になったようだ。考えてみれば一人で荷を運ぶ仕事というのも退屈なものだろう。

「今クルルスで流行の歌があるだろう。あれは弾けるのか。」
「ああ、弾けるよ。」

それでは、弾こう。相変わらず笑顔のままカンナはそう言うと、すっと息を吸い込んだ。








きみの心はどこにある

北の杉の樹ささやくよ
あいつの心は西にある

西の海鳥かたりあう
あいつの心は南だよ

心が昔に戻れるなら
語り合おうじゃないかその時は
いつかのきみがしたように
蜂蜜をこの酒に混ぜこんで

きみの心はどこにある


南の風がおしえてる
あいつの心は東にて

東の空はすきとおる
そこはきみの故郷だろ
そこはわたしときみの場所
二人の頭上にはいつもいつも
蜂蜜色の月がかかってた

もしきみに会えたなら
抱きしめようか愛しきみ
唄え東の空
唄声は波にのって君にとどく
別れ時に流していた君の涙は
東の海にとけてるだろうか

きみの心はどこにある
きみの心はどこにある







不思議な魅力のある声であった。よく通る声は、高くて真っ蒼な空に、無限にすら思えるほど広がる大麦畑に、どこまでも響いて吸い込まれていくかのようだった。
彼女の声と、歌っている曲の調子と、リュートの音とが絶妙にあっていて、三人ともうっとりと聴き入ってしまう。
カンナの声は軽やかだったが、どこか悲しげな響きを帯びている。キーシャはいつか聴いたサラの歌声を思い出していた。少しだけ、その悲しいほど美しい響きは似ていると思った。

女が歌い終えると、三人は拍手を喝采した。キーシャもサラも御者の男も、口々に彼女の歌をほめる。

「良い歌ね。なんて曲?」

サラの問いに答えたのは御者の男だった。そういえば、首都で流行っているというこの曲をリクエストしたのはこの男である。男は満足げなため息をはいて、つぶやくように言う。

「蜂蜜色の月。お互スキなのに悲しい別れをした恋人同士の唄なんだってよ。」

その呟きにたいして、カンナは何も言わないでぽろんとリュートを爪弾くだけだった。
老馬の一頭がぶるる、と低く嘶くのがリュートの音色と共に高い空に響いた。



存外に賑やかな旅路となった一行は、ようやくクルルスに到着した。
門のところまで来ると、カンナは乗り込んだ時と同じように身軽に荷台から飛び降り、御者の男に「ありがと。」と礼を言うと、キーシャに向かって笑って見せた。
それから、サラにむかって熱のこもったウインクを投げたかと思うと、颯爽と人ごみの中に身を消してしまった。

キーシャやサラも御者の男に礼を言ってから荷車を降りて、クルーザン共和国首都のクルルスの石畳を歩くことにする。

サラの言うとおり立派な町のように、キーシャには思える。
道々に並ぶ屋敷はどれも立派なものだったし、石畳だって欠けることなく整然と敷かれているし、歩く人々の格好も小奇麗なものばかりである。
薄汚れた布を体にまきつけたキーシャとサラの肩身が狭いほどだ。

一方ふと道端に目をやったサラは、ぼろ布を着た子供が道端のゴミを拾っているところを目撃した。
そこで注意深く道行く人々に目を凝らせば、確かに高級そうな衣服を身に着けている人間がほとんどだけれども、ほんの少し、あきらかにひもじそうな様子の人間がいる。
その貧富の差はあまりにも大きなものだったので、サラは薄気味悪くすら感じるのだった。もしかしたらこれが御者の男の言っていた「裏側」の一端なのかもしれない。
サラは、俄然わきでるこの町の構造に対する興味を抑えきれなかった。

「ねえ、キーシャ。宿を探す前に少し町を見て回りましょう。私、この町のこともっと知りたいわ。」

サラはとても積極的で好奇心旺盛な少女であることを、またもキーシャは思い出させられた。

「でも、今は他にやることがたくさんあるだろう。」
「いずれセンを探すにしても、この町のこともっと知らなくっちゃあだめよ。」

サラは、断固としてそう主張するのだった。








二人がこのクルルスという町を見て回って発見できた事実というのは、結局のところ貧富の差というのが一番のところだった。それは探すまでもなく、一本大通りから離れた道を通るだけで明らかになる。
少し大通りから外れるだけで、そこはまるでスラム街のように貧しい家々が並んでいる。家はどこもつぎはぎだらけだったし、
歩く人々の着る衣服はお世辞にも素晴らしいものであるとはいえなかった。とてもよい暮らしをしているようには見えないのである。
しかし一つ注目すべき点というのは、裕福かに見えた大通りの町並みよりも、貧しそうに見える家々の方がずっと活気にあふれているのである。
整然としていて、どことなく冷たい印象を持たされた中心街とは反して、貧しい人々は彼らなりの暮らしを盛り上げているのがよくわかる。
店先で女たちは商品の値切りあいをはじめ、男たちは陽気に仕事をし、子供たちは狭く雑然とした小道をぼろきれ一枚で走り回っている。その様子はどこか心温まるものがあるのだった。



「確かに、これは階級の差が顕著だね。」
「ええ。多分、三つの国が一緒になるのがあまりにも唐突すぎたせいね。融和される前に、人々は一つの町の中で住み分けを始めてしまったのだわ。
町の傾向としては、あまりよくないわ。やっぱり、衝突は絶えないのでしょうね。」

キーシャとサラがこの町の感想を話しながら歩いていると、ひとつ、若い女の叫び声が上がった。
それから、「この泥棒!」という同様の女の声が上がったと思うと、丁度二人の目の前の家から大柄な男が二人飛び出てきた。一人の女が、必死に男の一人の腕をひっぱっている。
どうやら逃げようとする泥棒に、一人で食い下がっている模様である。

「キーシャ。」

サラがキーシャの名前を呼ぶ。キーシャにはもちろん、サラの言いたい事がすぐに分かったけれども、面倒だなあ、といった具合に鼻の頭のところをぽりぽりとひっかいた。

「キーシャ!」

女が男に腕を振り払われ、道に転げたところで、サラがちょっと語気を強める。
キーシャは仕方ないな、といった具合で槍を一閃させると、あっというまに強盗二人の気を失わせた。
キーシャはまず強盗二人が持っていた袋を奪うと、道で転んだままの少女の腕をとった。

「大丈夫?」

槍を使ったせいで、頭にかけていた布が外れて顔が露わになってしまうのを少しだけ気遣いつつ、キーシャは女を立たせた。
その若い女は、波打つ栗色の髪の毛を左右にひっつめて、鼻にはいくらかのそばかすを散らしていた。
女は顔を真っ赤にして、「ありがとうございます!」と高い声で叫んだ。
男たちから奪った袋を女に握らせたキーシャが振り返ると、泥棒たちがあわてて逃げてゆく後姿だけが見えるのだった。




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