第十五話


スミレは、街一番の大通りから三本外れた裏道の、とある寂れた宿屋の一人娘だった。
宿屋の主人でありスミレの父であるトムは、彼女から言わせて見ればなんとも冴えない親父だったし、彼は雀の涙ほども商才がなかった。
ただでさえ流行らない宿屋は5年前にスミレの母親が死んでから、ますます宿泊客の数を減らすばかりである。
家屋も傷むばかりだし、父親は気が優しいだけがとりえのうだつの上がらぬ男だし、おまけにここ最近店まわりには柄の悪い男達がうろついていて、評判をいっそうに落としているのだった。

それにしても、今月の宿泊客の少なさには参ったものだ。

白パンがいくらかと白身魚の入った籠を抱えながらスミレは頭を悩ませた。今月に入ってから、痩せた老人が一人ばかり、ずっと二階の奥の部屋に泊まり込んでいるだけで他に客がいない。
その唯一の客も辛気臭い顔をして、食堂で一番安いラム酒を呷るばかりだし。
母親が死んでから食堂の炊事は一切をスミレに任されたのだけれど、スミレは自身の腕を振るう機会があまりないのをいささか残念に感じていた。
そう、そういえばなんだか派手な女も一人宿に住み着いているのだが、彼女は宿賃を払わないので、スミレにしてみればいないものと一緒である。

「最近治安が悪いから、用心棒を雇おうと思ってね。」

そういって父親が連れてきた女は、あたり一面に色気を振りまいているような女で、用心棒としてこんな女を連れてくる父親の才覚というものを本気で疑ったものだ。
派手なマントを羽織った女はとても強そうには見えなかったが、幸運にも彼女の腕を見るような機会は、つまるところスミレの宿屋が襲われるような機会は今までにない。
それにしても用心棒として女を連れてくるなんて、父親は頭のネジがどこか緩んでいるんじゃなかろうか。

そんな事を考えながら宿屋に戻ってきたスミレは、カウンターで金をあさる二人の男に遭遇した。
一瞬何が起こったのか把握できなかったのだが、一寸おいて彼らが泥棒であるのだと分かった。スミレは甲高い声で叫ぶと、男たちにしがみついた。
なけなしの金を今もっていかれてしまえば、今後どうやって生活していけばよいのだろう。本格的に店じまいを考えなければいけなくなるかもしれない。


何も考えずとびついたスミレだったものの、男の腕力は圧倒的だった。ずるずると店の外まで引っ張っていかれて、そこで腕を振り払われて地面に叩きつけられた。


こんな時、そうスミレは思う。こんな時、颯爽と王子様が現れてくれれば。
その王子様はあっという間にこんな泥棒をやっつけてくれるのだ。とても格好よく、それはいとも簡単に。
そんな夢想をしながら、スミレは床に打ち付けられた時の痛みと、金を奪われた事の悔しさで涙ぐむ。
なんとか顔あげたスミレが見たのは、光のような槍の一閃と、一瞬視界を掠める赤色であった。


その人はあっという間に泥棒二人を気絶させてしまうと、スミレが立つのに手を貸してくれた。まるで王子様だ、とスミレは思う。本当に、王子様が現れたのではなかろうか。

「大丈夫?」

そう聞くその赤い髪の人は綺麗な顔をしている。浅黒い肌ははりがあって、真紅の目が燃えるようだ。
ありがとうございます、と別人のように甲高い声で言うのを他人事のように聞いてから、ふと気がついた。

赤い髪の人はとても強いから勘違いをしていたが、よく見てみれば女性である。背は高いけれどすらりとしているし、中世的だけれどちゃんと見ればすぐに女性だと分かる顔だ。
女性でも強い場合もあるのかもしれない、と用心棒のあの女に対する認識をあらためつつ、スミレは少しだけがっかりした。なんだ、王子様ではなかったのか、と思ったからである。
しかし、その赤い髪の女性がスミレに怪我がないと知り、安心したようにスミレの頭のところをポンポンと叩いて「よかった。」と笑ってみせたときのことである。

「このとき恋に落ちる音を聞いたわ。」

とスミレが語るのは後の事だが、とにかくこのときスミレはさきほどから真っ赤だった顔をさらに赤くして、夏の太陽でよく熟れたトマトのような顔になった。
それから素早く、「旅の方ですか。」と聞いた。女の格好からそう見当をつけたのである。

「よくわかったね。」

女は少し驚いた顔で言う。

しめた、とスミレは思った。親父は商売の才能がからきしだけれども、私はそれほどじゃないし、そうすると恋の駆け引きだって結構うまいんじゃないかしら。
だって、三軒隣の薬屋のおかみさんが、恋愛の上手さと商売の上手さは通じるのよ、なんて言っていたもの。

そんなことを考えながら、スミレはとびきりの笑顔で赤い髪の女にいって見せたのだ。

「うち、宿屋なんです。お礼に泊まっていってください。お代はいらないわ。」

それを聞いて女は眼を輝かせた。よほど金に困っているのだろうか。それから、女は少し後ろを見やって、声をかけた。

「サラ、聞いたよね?どうしようか。」

なんだ、連れがいたのか。
また少しがっかりしつつスミレがそちらを見ると、布であしらったフードを目深に被った小柄な女性が、少し後ろのほうで立っていた。なんだか妙な存在感がある。
この女性の存在に気がつかなかった今までに違和感を覚えるくらいである。

「そうね。どうしようかしら。」

迷うように小柄な女性は呟いた。フードからちらりと覗いたその顔はお人形のように整った顔をしている。











「あれ、スミレ、どうしたんだい。」

スミレの背後から、突然明るい声がする。

この声は。

声を聞いて、スミレは振り向きざまに怒ったように叫んだ。

「あなた、うちの宿の用心棒でしょう?肝心な時になんでいないのよ。」

相変わらず奇妙なマントと三角帽を身に付けた用心棒が、スミレのすぐ後ろのところにいてその魅力的な笑顔でへらりと笑って見せるところだった。

「いやあ、ちょっと野暮用があったものでね。」
「どうせ、町で可愛い女の子を追いかけまわしていたのでしょう。」

彼女は何故だか女好きなのだ。しかも、その独特の魅力が女の子を惹きつけるものだから、余計に調子に乗って困ったものである。
スミレからしてみれば、確かに彼女は魅力的だけれどもちゃらんぽらんな女にしか見えないから、街の娘がどうしてあそこまで騒ぐのかと本気で不思議に思っている。

「ははは、そんなんじゃないよ。」

相変わらずニコニコとしている。何を考えているのかよく分からない女だ。

「あんた、吟遊詩人のカンナじゃない。」

すると突然脇に立っていた赤い髪の人が、カンナを見て声をあげる。スミレはカンナの名前を知る彼女にびっくりした。

「何。知り合いだったの?」
「知り合いというかねえ。彼女たち二人とは、少々前に別れたばかりなんだけど。」

赤い髪の人は興味深そうな顔をしている。それから、「吟遊詩人なのか、道化師なのか、用心棒なのか。なかなか得体のしれないやつだなあ。」と可笑しそうに呟く。

「本職は吟遊詩人さ。さて、こちらに泊まるのかな。」
「ああ、今迷ってるんだ。」
「ぜひここに泊まりなよ。私もここに泊まらせてもらってるんだ。」

熱心にカンナは二人を誘う。特に、小柄な女性に向けては熱のこもった説得をしてみせるカンナであったから、その下心は丸見えだ、とスミレはそう思った。なんと節操のない奴なのだろうか。

「それではここに泊まりましょう。荷車で会ったのも何かの縁かもしれないわ。ただ、お代はちゃんと払いましょうね。」

小柄の、サラと呼ばれたその女性が言う。赤い髪の人をちょっと諭すみたいな口調が、弟を諭す姉のような調子だったので、見た目との差もあいまってなんだか微笑ましかった。













「もしかしてさっきの泥棒って、噂の盗賊団のやつらかな。」

キーシャと名乗る赤い髪の女性が聞いた。それに対しスミレは首を振る。

「盗賊団の人はこんな潰れかけているような宿屋を襲ったりしません。彼らは大通りにあるような大きなお屋敷ばかり狙っているの。」
「へえ。」
「裏通りじゃ、彼らをヒーローのように言う人も多いんです。だって、税金の取り立てが少ないのを良い事に大きな顔をしている貴族の連中に大目玉をくらわせているんですもの。
それに、盗んだお金を家も持てない貧しい人たちに寄付してるって噂もあるのです。」
「なるほど。盗賊というよりも義賊ってところか。」
「お金持ちの人たちは血眼で盗賊団を捕まえようとしているみたいなんですけれど。」

きっと捕まらないわ。そうスミレは呟く。

「盗賊団はよく統率されていて風のように素早く貴族たちの金品を奪ってしまうの。あまりにも鮮やかだから、やはりヒーロー扱いされてしまうのかもしれませんね。」

スミレは盗賊団の説明を続けながら、キーシャとサラ、二人の旅人を部屋に案内する。一番後ろからカンナが陽気に口笛を吹いてついてきた。













早馬で手紙を出しに行きたい、そう言うキーシャは宿屋を一度でていってしまい、いつの間にかカンナもふらりとどこかに行ってしまったから、
気づくとスミレはサラ、そう呼ばれた美しい少女と二人きりになってしまった。フードを頭から取り去ったサラは案の定美しかった。真白で小さな顔に、滑らかなブロンドの髪がよく似合っている。

サラは興味深げに、熱心にスミレにこの街の仕組みについて質問を繰り返すのだった。

「この裏通りの人はそんなにも税金をとりたてられているの??」

スミレが、この街では裏通りの非貴族の人間に不当な税金がかけれられていることを説明すると、サラが怒ったよう叫んだ。

「ええ、本当は法律に反するそうなんですけれど、首長が横暴な人なんです。ファウスト伯という人なんですけれどね。おかげでこの宿の経営も毎月ぎりぎりです。」

スミレはそう言ってため息をついて見せた。高貴な顔立ちをしているサラはどことなく近寄りがたくあったけれども、しゃべってみると案外話しやすい人だった。
年が近いせいもあるだろうか。二人ともすっかりと打ち解けてしまった。







二人が話しこんでいると、宿屋の扉が開いた。スミレとサラは、キーシャが帰ってきたのかと期待をこめてそちらを見やる。

「おや、お客さんかい。」

入ってきたのはスミレの父であるトムだった。

「お父さん。またどこかに行っていたのね。サラさん、私の父でこの宿屋の店主のトムです。」

スミレは一応、と言わんばかりの調子でトムをサラに紹介する。
それから、商才もないのに顔ばっかり広くてしょっちゅう出かけるから困ってるんです、とため息と共に自らの父の愚痴をつけくわえた。

「すまんすまん。」

トムは陽気に笑い、サラにゆっくりするように言うと、自らは食堂のカウンターに入ってグラスを磨き始めた。

「ねえ、トムさん。宿屋の主人というのはやはり顔が広いものなのね?」
「そうだねえ。いろんなやつがやってくるし、広いほうかもしれんね。」
「じゃあ、きっと街の情報にも詳しいのね。」
「まあ、そうかなあ。」

美しく若い女性に質問責めされることもそう経験しないであろうトムは照れたように頷く。スミレは、何を勘違いしてるんだか、とあきれたような眼でトムを見やった。

「近いうちに貴族のパーティーか何かないかしら。」

サラは突然そんなことを聞く。スミレはなんのことかしら、と思いながら黙って聞いている。

「パーティー?…そうさな。1週間後にファウスト伯、この首都の首長だが。そのファウスト伯がなにやら開くと聞いたねえ。
まああの人は、毎週のように何かしら理由をつけて社交会だのなんだの開いてるから。税金を湯水のように使ってやがるのさ。」

優しげなトムの顔は少しだけ不満げに陰る。
サラはそれを聞いて、うれしそうに笑ってからトムに礼を言う。

「そんな事聞いてどうするつもりなの、サラさん。」

スミレがそう聞いたけども、サラはただにこりと笑い返すだけだった。



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