第十六話


キーシャとサラの二人がトムの宿屋に泊るようになって一週間ほどになる。
一週間も泊り込んでいれば、宿屋界隈の裏町ではすっかり馴染みの顔になってしまう。
向かいの果物屋のおかみさんはキーシャが通りかかるたび必ず何か持たせようとしたし、サラはその容姿が目立つせいで、裏町のあちこちで声を掛けられてはしょっちゅう足止めをくらうのだった。
最初は二人とも注意深く用心していたのだ。パブオン山脈の最中で散々手をやかされ、また兵士の命を奪った追っ手達の事を早々に忘れられるはずがないのだから。
しかし、実際のところこの裏町に、サラの正体を勘付けるほどの身分の人間も、あるいはキーシャの事を知る機会のある、自分の腕っ節を商売道具にしているような人間もいなかった。
裏町の人間は陽気でいて気さくだ。だからサラもキーシャも、彼らと笑顔を共有することは決して少なくなかった。
もちろん熱心にこの国の副元首であるというセンの行方を聞いてまわっていた二人だけれども、人々の口にのぼるセンの名前はあくまで遠い政府の人間としてでしかなかったため、
彼の行方を知るのはとても困難な事のように思われた。

この日は食堂で、スミレのお手製の料理がふるまわれているところだった。キーシャとサラが食事をとる時は、トムやスミレを交えて賑やかに食べる事が最近では多くなった。
今日は珍しく吟遊詩人のカンナもいる。彼女は以前よりもずっとこの宿にいつくようになったのだけれども、それでも食事の時間になるとふらりと姿を消してしまうことが多い。
もちろんそれは偶然ではない。その原因は、スミレの渾身の料理にある。
スミレはキーシャとその他の人間のためにいつだって全力の気持ちで食材に挑みかかってはいるのだが、それは大抵の場合裏目にでるのだった。
ポテトパイは生焼けだったし、魚のグリルは炭の一歩手前というところだった。
困ったことに、当のスミレは料理を趣味としてしまうくらい料理好きを自称していて、実のところトムの頭を悩ませているのだった。

「さあ、召し上がれ。」

スミレが上機嫌に言う。サラが魚のまだ幾分ましな箇所をつついていると、後ろから、「ごふっ」と料理にせき込む声がする。
食堂はいつだって閑散としていて、たまにラム酒ばかり呷る痩せこけた老人が隅にいるのが関の山なのだが、
今日は珍しく他に客がちらほらといて、ちょっとばかり目つきの悪い連中がいくらかスミレの料理を食べているところだった。
サラがせき込んだ男のほうに目をやれば、スミレの刺激的な料理に、男が目を白黒させている。
サラは、エミリアに少しばかり習っただけの自分のほうがもう少しましな料理をつくれるかもしれない、とちょっと考えたが、それはスミレとの友情のために決して口に出すことはなかった。
カンナは昼間から酒ばかり呷っている。スミレがしきりに料理を進めても、魅力的な笑顔で「ありがとう。」とかわすばかりだった。それどころか、サラにしょっちゅう酒をすすめては困らせている。
キーシャは、ひたすらにスミレの作った料理を食べていた。
キーシャだけはいつもスミレの作った料理を黙々と食しては、笑顔で「ありがとう、とても美味しかった。」とスミレに礼を言うのだった。
それが、エミリアの素晴らしい料理を食した後の言い方と全く一緒だったので、サラはそんなキーシャに感心するとともに、
キーシャに料理をほめられるたび顔を赤くするスミレと笑顔のキーシャに対して、なぜだかとても複雑な気持ちになるのだった。















食事を終えたサラとキーシャは、表通りから少しだけ奥に入ったところにある、とある洋品店に来ていた。
パーティー用のドレスを主に扱っていて、サラとキーシャの現在の格好から見てみれば不似合いなくらい高級な店だった。
最初洋品店の店主は入ってきた二人を見て顔をしかめたが、サラの顔を見て気が変わったらしい。おそらくは、サラからこぼれる自然の気品に気がついたのだろう。
すっかり愛想を取り戻した女店主は、眼鏡を光らせながらしきりに二人にドレスを勧める。

「ねえサラ。どうしてこんな店に?急にドレスでも欲しくなったの?」
「ええ、そうよ。今日はドレスを買うつもりなの。」

サラは楽しげに店内を見て回った。きらきらしたドレスを頬を紅潮させながら見て回るサラは、まだまだ十分幼く見えた。
ドレスなんて、ここに置いてあるものよりももっと高級なものを嫌というほど贈られてきているだろうに、サラはとても楽しそうである。

いくつか見て回ってから、サラは色身の深いバイオレットのドレスを選びとった。
サラが着るには少し大人っぽい気がキーシャにはしたが、サラの目は「これしかない。」と確信しているようにも見えた。

「ご試着なさいますか。」

女主人は機嫌がよさそうにいう。サラは美しい微笑みをうかべて「ええ。」と頷いた。
そして、バイオレットのドレスをぐいとキーシャに押し付ける。
きょとん、としたままのキーシャに、サラは笑みを深めた。

「このドレスを着るのはあなたよ。キーシャ。」

キーシャは少しだけ沈黙してから、驚きの声をあげる。

「な。なんで私が。」
「大丈夫。私、洋服選びは少し自信があるのよ。絶対似合うわ。」
「いや、そうじゃなくて、なんで私がドレスを買うんだ。」
「貸衣装屋も覗いたんだけど、今一つだったの。一着くらいなら買えるかなあと思って。」
「いや、だからそうじゃなくて。」

二人が言いあっていると、しびれを切らした洋品店の店主が、「ほらほら。入った入った、お嬢さん。」とキーシャをおしやって、ドレスと共に試着室におしこんでしまった。
最初試着室でぶつぶつと文句を言っていたキーシャも、大人しく着替え始めた。衣擦れの音がする。それを聞いてサラは満足げに笑った。

「キーシャ。着替え終わったの?開けるわよ?」

しばらくしてからサラが試着室の中へと声をかける。すると「う、うーん。」と、キーシャにしては珍しく自信のなさそうな、曖昧な返事が聞こえる。
それでサラは、何も言わないで試着室のカーテンをさっと開いた。

そこには、珍しく頬を赤くしたキーシャが立っていた。赤い髪に、紫色のドレスがよく映えている。
そのドレスを選びとったサラ自身が驚いてしまうくらいに、それはぴったりとキーシャに合っていた。

「まあ、とてもお似合いですよ。」

店主も感嘆の声をあげる。興奮したかのように、胸元でぱちぱち手をたたいたかと思うと、次々に讃辞の声をあげつらねた。
商売のために少しばかり誇張されていたにせよ、その言葉にウソはないだろう。

「お客様も、高貴な顔立ちをしていらっしゃるもの。そのバイオレットは高貴な人にしか似合わない色見でございますよ。」

サラに言う言葉ならまだしも、私にそんな言葉を言うなんて、見当違いだ、とキーシャは苦笑いをした。自分はただの傭兵士だというのに、と。
主人の言葉をお世辞だと彼女は思っているのだ。

「私もそう思うわ。」

サラは真剣にそういった。サラでさえ、キーシャに高級な服装がここまで似合うとは思っていなかったのだ。彼女はいつも、動きやすい服ばかりを着ているから。
それなのにドレスをまとったキーシャは、それがまるで普段着であるかのように着こなしてみせたし、彼女からは身分の高い人間が持つような威厳すら香りたってくるかのようだった。

一瞬どこかに消えたかに見えた女店主は、木箱を抱えて戻ってきた。彼女がその木箱を開けると、中には化粧道具が一式揃っている。

「少しお化粧するとさらに素敵だと思いますわ。」

サラはにっこりと笑う。

「良いアイディアだわ。」

サラにうっすらとメイクを施され、女店主にその赤髪をさんざんいじられたキーシャは、幼い女の子の着せ替え人形のようになった気分だったが、
完璧に支度を整えたキーシャを見て驚きの表情を見せる二人を見て、さらに居心地を悪くした。
もはや仕事を忘れて興奮を見せる女店主が新たな髪飾りを求めて奥に引っ込んでいる間に、キーシャはサラの耳元にぐいと唇を寄せる。
一瞬でサラの顔が真っ赤になったが、キーシャには見えていなかった。

「良い加減にどういうつもりなのか教えてくれないか、サラ。まさか私で遊んでたわけじゃあないだろう。」
「まさか。」

サラは、ここでようやく自らの意図をキーシャに説明する。

「多分裏道で聞き込みをしたって、センの情報は手に入らないでしょう。だったら、もっと上の身分の人間に聞いてみなくちゃ。
ちょうど明日、ファウスト伯の屋敷でダンスパーティーが開かれるらしいの。確か彼の娘の誕生パーティーだとか言っていたけど、そこはどうでもいいわ。
貴族のパーティーというと、必ず政治上の取り引きなんかも行われるものなのよ。そこに潜り込んで色々聞いてまわることが出来れば、何か情報をつかめるかもしれないじゃない。」
「サラのやりたい事は大体分かった。でも、潜り込むのならサラの方が適任じゃないのか。」
「さすがにクルーザン共和国首長のパーティーともなれば、私の顔を知っている人が来るかもしれないわ。私、確かファウスト伯にもお会いしたことあるはずなの。まだ幼い時分だったけれど。私の姿に勘付かれてはマズイもの。」

なるほど。しかしサラは、重要な事を一つ忘れている。

「サラ、私がそんな器用に事を運べると思う?言っておくけど、貴族のたしなみなんて分からないよ。潜入するのがバレて追い出されるだけのような気がするけど。」

サラは、そういえばそうか、と気がつく。キーシャは口がうまいが、たった一人で貴族になりすませるほど、彼女は身分の高い人間というものを知らない。

「そうね。…分かったわ。二人で忍びこみましょう。どちらにしろ、ダンスパーティーだもの。女一人でいたら怪しまれるだろうし、ダンスに誘われてしまっては困るでしょうしね。
男女二人でいたほうがずっと自然だし、ごまかしやすいわ。私もなるべく正体を勘付かれないようにするわ。」
「ん?」
「キーシャ、あなたにはやっぱり男装してもらう事にするわ。私が男装をするのは少し無理があるもの。そのステキなドレス姿をもう一度見られないのはとても残念だけれど。」

そう言って、今度は嬉々として紳士服がおかれた一角に足を運ぶサラ。
その後ろ姿を見て、やっぱり遊ばれているだけかもしれない、と思ったキーシャであった。


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