第十七話


ファウスト伯の娘はマリアーナというが、彼女の誕生日を祝すとして催されたこのダンスパーティにおいて、主役であるはずのマリアーナが不機嫌なのは誰の目にも明らかであった。
理由はただ一つである。彼女に集まるはずだった会場中の視線が、自分ではない違う少女に集まってしまったから。



こっそりとダンスパーティーに忍び込んだつもりのサラとキーシャだったが、二人の華やかな外見は否が応でも目だってしまう。
新調されたドレスと礼服がその外見をさらに際立たせており、会場中の話題と視線を、一気に掻っ攫ってしまった。
特にサラの気品はすさまじい。彼女の着ているドレスは決して高いものではないが、サラが着ればその真白なドレスはたちまち、一等の絹で織られた高級なドレスのような美しさをもつのだった。
ダンスパーティーの規模は大きく、有り余る金で遊び呆けているような男女で、会場はひしめきあっている。
明るすぎる照明も、煌びやかな衣装も、豪華な食事も、そういった一切に今まで無縁であったキーシャにとっては目に痛いものでしかなかった。
ダンスパーティに訪れた人間がこぞってサラとキーシャに話しかけてきたけれど、サラの態度は堂々としたものだ。
サラが知っていることといえばファウスト伯の名前と娘のマリアーナの名前くらいのものだが、まるでファウスト伯とは旧知の仲であるかのような態度を見せた。
当のファウスト伯といえば、会場の奥で政治談議に急がしそうでサラとキーシャには気づいていない。

「やあ、お嬢さん。僕と踊ってくれませんか。」

背の高い男がサラに声をかける。脇にいたキーシャは「気障なやつだなあ。」と面白くなさそうな顔をしたが、サラはにこやかに笑い返す。

「ありがとう。でもごめんなさい。今踊る気分じゃないの。」

男はサラの笑顔に気圧されたらしい。あっさりと引き下がる。
終始ニコニコしているサラの隣で、なんとか笑みを保ったままのキーシャ―――忍び込む前にサラに、常に笑顔でいるようさんざん釘をさされていた―――はそっと耳打ちをする。

「さっきから軽くいなしてばかりだけれど、センの事を聞かなくていいのか。」
「今まで寄ってきた連中はたぶん知らないわよ。貴族なのを良いことに放蕩暮らしをしてる連中ばかりね。知っているとしたら、きっと。」

そう言うサラが送った視線の先に目をやれば、そこにはしかめつらしい顔をした白髪のファウスト伯が、やはり数人の男と話しこんでいる。

「ファウスト伯でしょうね。」

断言したサラは堂々たる態度でファウスト伯に近寄っていくと、「こんばんは。」と彼に声をかけた。サラに気がついたファウスト伯が彼女の方をみやる。

「やあ。こんばんは。今夜は楽しんでるかな。」

ええ、とても。そう返したサラに対して笑顔で応対したファウスト伯であったものの、一瞬ちょっと戸惑いが表情に表れた。
親しげに声をかけてきた少女の顔に見覚えがなければ当然というものだろう。

「ふむ、お知り合いだったかな。」
「いやね、ファウストおじさま。私よ。クリスティーナよ。」

自信たっぷりに偽名をつげるサラ。端で見ていたキーシャが舌を巻くほどの演技である。
サラには自信があったのだ。貴族というのは総じて顔が広いが、その関係性は多くの場合希薄だったし、出会う人間の数はおびただしいほどである。
おまけにファウスト伯は首長という地位にあるのだから、その傾向はなお顕著であるはずだ。出会う人間全てを覚え切れるはずはない。

とっておきのサラの笑顔を見せられたファウスト伯は、頬をゆるませてから、ごほん、と一つ咳払いをした。それからワインも一口ちびりとやる。

「・・・そうか、クリスティーナ。素敵なドレスだね。」
「ありがとう。私おじさまと少し話がしたいわ。おじさまの話ってとても素敵だもの。いいかしら。」
「ああ、いいとも。今夜は私も思う存分楽しみたいね。」
「ええ、ぜひそうなさって。今日くらいはたっぷりと楽しむべきですわ。おじさまは最近とても苦労しているのでしょう?ほら、今さんざん噂になっている…。」
「そうさ!とんだとばっちりだ。」
「とばっちり。」
「そりゃそうだよクリスティーナ。ストラウスの野郎、ついにくたばりやがって。」

いろいろと思い出したのだろう、憤慨したようにファウスト伯は言う。サラの物腰の柔らかさと美しい外見に油断したのか、それともそもそもファウスト伯とは口の軽い男なのか。
はたまた度の強い酒のせいだろうか。とにかく、好都合な事に彼は今夜とても饒舌だった。

「そうね、おまけに・・・。」
「そう、センのやつが身勝手な事しおって。収集つかんわい。」

案外早く確信の話にたどりついた。サラは心の中で微笑む。
おそらくファウスト伯にとって国が乱れることは、うまみをたっぷり搾り取る制度を完成させたこの街を失う可能性をはらむものであり、歓迎できる話ではないのだろう。

「ええ。でも、センったら突然どうしたのかしらね。」
「ふん。何を考えているんだか。」

怒りを静めようとグラスに残ったワインを飲み干したファウスト伯は、じっとサラの目をみつめた。
サラは「彼、一体どこにいるのかしら。」と一人ごちるように何気なく聞いてみせたのだが、サラの目をみつめるファウスト伯の耳には届いていないようだった。

「まて。うん、確かに私は君に会ったことがある・・・。そう、ノエで確か・・・。」

すっかり酔いのまわったファウスト伯の声は頼りないものだったが、サラはまずい、と思った。
ノエという単語が出てきた時点で、彼の思考がサラの正体にいきつくまでそう時間はかからないはずである。
この場をどうきりぬけるか。
サラがそう考えをめぐらせはじめたとき、右腕をぐっとつかまれる感触がした。腕の先をたどってみると、驚くほどよく似合う礼服を着たキーシャである。

キーシャは何もいわないでサラに目で合図すると、サラの手をひいて走り出した。
サラも白いドレスをなびかせてキーシャにつづいて駆け出す。後ろで、ファウスト伯が何かを言っているのが聞こえたが、二人とも振り返ることはなかった。
















二人は一緒になって、開放された庭のスペースに走りこんでいく。忍び込んだのもこの庭に面した塀からである。
誰もが暖かさと人との楽しい会話を求めて屋内にひっこんでいるから、あたりには誰もいない。室内の人々の話し声が、遠くに聞こえるだけだった。
よく手入れされた庭で、芝が短く刈り込まれている。

その上に二人が立ち止まると、突然サラがくすくすと笑い出した。
そんなサラに、キーシャが怪訝な顔をしていると、「なんでだかわからないけれど、楽しくなっちゃった。」とさきほどファウスト伯に見せたときよりももっと素敵な笑顔をキーシャに向けた。

「けっこう、危ないところだったじゃない。」

キーシャはちょっとあきれたようにいう。サラの正体がバレてしまえば色々とまずいのは、キーシャにだってわかるのだ。

「そうなんだけど。キーシャ、まるで悪党から救い出してくれるヒーローみたいだったんだもの。」
「敵に奪われたお姫様を救う王子様みたいな?でも、あながち間違ってないんじゃない。あのファウストとかいうやつ、どうみたって悪党ヅラだね。
さっきまで若い男連中に威張り散らしてたのに、サラを目の前にしたら頬が落っこちるんじゃないかって顔してたもの。それにサラは王女様じゃない。私は王子でも王女でもないけどね。」
「ふふ、なんにしても、うれしかったわ。ありがと。」

サラは上機嫌にそう言うと、一度とかれたキーシャの腕を、今度は握り返した。

「ねえ。あの街灯の下に行ってみましょうよ。」




広い庭はほとんど真っ暗だったが、ちょっと行ったところに一つだけぽつりと街灯がだっていた。サラはキーシャの手をひいてそちらにかけていく。
キーシャは少し苦笑しながらそれについていった。
サラはいつもよりか幾分気持ちが高揚していたが、それも無理ないことである。
サラにとって、普段よりもいくつか格が落ちるとはいえ、美しいドレスを纏うのは久しぶりのことであり、またそれこそ本来のサラの姿であるのだから。
街灯の下にはごくごく低い花壇がある。サラは気分の高ぶりそのままに、その花壇のへりの部分にひらりと飛び乗った。
それを見てキーシャは、イクサシロチョウみたいだ、と思った。エミリアの小屋にいけば必ず見る、高山に住む真っ白の美しい蝶。
暗い闇の中で、たった一つの街灯に照らされたサラのブロンドの髪と純白のドレスは、おどろくほど美しかった。




いつもと違って、キーシャの目線よりサラの目線が高い。手はつながれたままだ。二人が見つめあったとき、ちょうど屋内からワルツの音色が聞こえてくる。

「ねえ、踊りましょうよ。」

サラが、名案!とばかりに提案したがキーシャは笑って首を振る。

「無理だよ。貴族の踊り方なんて、わからない。」
「大丈夫よ、こんなの、適当でいいんだから。」
「いや、遠慮する。」
「いいじゃない。」
「いやだ、じつは踊りは苦手なんだ。」

ついにキーシャが拗ねたようにそう言って、そっぽを向いた。
サラはまたおかしくなってくすくすと笑う。
うれしかったのだ。キーシャの、子供っぽい新たな一面を知ることができて。
サラは、キーシャがますます拗ねないように笑いをひっこめてから、今度は神妙な顔をした。
それからまっすぐキーシャの目をみる。



「じゃあ、そのかわり。」



遠くに聞こえるワルツの音色が、二人の間をゆっくりとたゆたう。



「そのかわり、私の事守ってくれる?キーシャ。」



まっすぐそういうサラ。
それにたいしてキーシャはちょっと考えるそぶりをした。
そしてつながれた手をきゅっと握り返す。



「…もちろん。お守りします、お姫様。」



そう言ってから、握ったサラの真っ白な手の甲にそっと口付けを落とした。

すると、サラが動揺したようにその手をさっと引っ込める。
キーシャは両手を持ち上げて「ちょっとした冗談だよ。」とおどけてみせた。もしかしたら行きすぎた冗談に、サラが怒るだろうと思ったのである。
しかし当のサラは顔を伏せて後ろを向いてしまう。いつもみたいに頬を膨らませるのではないかと思っていたキーシャは拍子抜けしてしまって、サラの肩にそっと手をおいた。

「どうしたの、サ・・・」

そうキーシャが言いかけた時、ワルツの音色がパッと止んで屋内からどよめきと叫び声が聞こえてくる。サラの顔を覗き込もうとしていたキーシャは、すぐさまそちらに目をやる。


「盗賊だ!!金品を盗られるぞ!気をつけろ!」


そんな男の叫び声が聞こえてくる。
とっさに、キーシャはふたたび屋内へと走っていく。サラも少し遅れてキーシャの後に続いた。







場内は先ほどよりも多くの人間がごった返している上に、大混乱がおこっていた。
きらびやかな服装の貴族たちとは相反する黒っぽい衣服に身を包んだ盗賊団の男達が、貴族の身に付けた金品や、場内にある金目のものを奪ってゆく。
おそらく貴族に対してのみ略奪をおこなうという、件の盗賊団であろうと思われる。
キーシャの隣でサラが「野蛮だわ。」というのが聞こえた。
キーシャが盗賊団の頭の人間を見つけようと目をこらしていると、隣でサラの叫び声が聞こえる。サラが突き飛ばされ、唯一身に着けていたブレスレッドを奪われていく。
これも洋品店で手に入れた安物だったが、サラを突き飛ばして奪ってゆく盗賊の男に対しての怒りが一瞬で燃え上がるのをキーシャは感じた。
男をとらえようとしたが、人波がすさまじく容易には追えない。ここでキーシャは少し冷静になって、下っ端の人間を追うよりも頭の人間を見つけた方がよいだろうと判断し、会場内を見渡す。
場内の奥の方、ちょうどファウスト伯や娘のマリアーナがいた位置にそれらしき人物が見えた。
どうやら盗賊団の目的はあくまで金品の略奪であって、危害を加える気はない様子だったので、キーシャはサラに動かないように言い置いてそちらに向かった。






盗賊団のお頭らしき人物は、口早に男達に支持を与えている様子だ。覆面のおかげで顔は見えないが、思いのほか小柄である。
あらかたの指示を終えると、お頭は傍にいた少女を抱え込んだ。
このパーティ本来の主役、マリアーナである。
マリアーナは精いっぱいの抵抗を示したが、小柄なお頭は意外に力のある模様で、問答無用に彼女を抱え込んでしまった。
ようやくそちらに到着したキーシャが、お頭の鳩尾に一発喰らわす。突然の攻撃に驚いたお頭はマリアーナを離してしまい、おまけに覆面が顔から剥がれてしまった。


その顔を見て、キーシャが驚きの声を上げた。


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