第二十話


ファウスト伯は自室で気に入りのウィスキーをちびちびとやりながら、秘蔵のリボルバーを丁寧に磨いていた。
お隣の大陸から特殊の経路で入手した珍しい型のもので、酒を飲みながらこの銃を愛でるのが最近のもっぱらの、それでいて唯一の楽しみとなっていた。
最近彼の身には不幸な事態ばかりがふりかかっているので、酒量は自然に増えるというものだ。日中は気を張ってばかりいるから、この時ばかりは幾分か気が緩む。
あらかたの手入れを終えたところで、ふと窓越しに何かがうごめくのを見た気がして、ファウスト伯はそちらをじっと見やった。
彼は自身の屋敷の防御に絶対の自信を持っていたけれども、最近物騒な事件が増えたことも承知している。なにせ、つい先日自ら主催したダンスパーティーをうわさの盗賊団に襲われたばかりなのだ。

「あいつら、絶対にとっちめてやる!」

その日の事をまたも思い出してしまい、ファウスト伯は部屋の中で一人悪態をついた。もはや連続強盗事件は人事ではなくなった。
あれ以来娘のマリアーナは自室にとじこもったまま出てこようとはしない。
高齢になってからもうけた末娘をファウスト伯は溺愛している。
だから彼は娘のために屋敷の警備を二倍にしたし、盗賊団を捕まえるための警備団を組織させることに決めた。
首長の怒りを買うことの恐ろしさを盗賊団の連中に、そして町の連中に知らしめるべきである。



ヒュッ、と空を切り裂く音を聞いた気がして、ファウスト伯は本能的に体を伏せた。若いころは自ら戦乱に身を投じたこともあり、齢七十にもなる現在もその勘を忘れたつもりはない。
一寸おいてから部屋の窓ガラスが派手な音を立てて割れた。それと同時に、部屋の照明がふっ、と消えた。
頭を両手で覆ったまま窓のほうに目をやったけれども、窓ガラス越しには月が見えるだけである。
そう思ったら、割れた窓の外から何か巨大なものがごろり、ごろりと二つ転がり込んでくる。
ここは二階なのに、と不思議に思う気持ちと純粋な恐怖をない交ぜに、ファウスト伯はだまって事の成り行きをみつめていた。

その二つはむくり、むくりと順番に起き上がると人型になった。一人はもう一人を抱え込んでいたらしく、起き上がると人影は三つになった。

窓からのぞく月の灯りに照らされて、侵入者の一人の顔がファウスト伯の眼に映った。
何よりもその目に焼きついたのは、派手な桃色のその髪の色。
その桃色の髪には見覚えがあった。
つい先日のダンス・パーティでのことだ。そう、こいつは盗賊団の連中に「団長」としきりに呼ばれていた。覆面がはがれ、その鮮やかな髪があらわになるのをファウスト伯も目撃していたのである。
とすれば、こいつは件の盗賊団の親玉だろう。そこまで思考がいたると、胸の底から怒りがむくむくとわきあがるのをとめることはできなかった。
怒りが恐怖に、まったく打ち勝っていたので、三対一で自らが襲われているのだという立場を忘れてファウスト伯は叫んだ。

「おい、お前この間の盗賊団の奴だろう。とっ捕まえてやるからな。」

肺一杯に吸い込んだ空気を一息に吐き出してそう叫んだファウスト伯であったものの、しりもちをついたままだったのでいまいち気迫には欠けている。
桃色の髪の女は何も聞こえていなかったように懐からランプを取り出すと、マッチを擦って灯りをともした。
月明かりしか頼ることのできなかった部屋が一時に明るくなったが、ランプ自体も、それを持つ桃色の髪の女の顔をかろうじて照らすぐらいのものだった。
あらためて女の顔を見たファウスト伯は、ううむと唸る。
女がまん丸の目を持ち、まったくもって邪気のない、まるで子供のような顔をしていたからだ。隣に立つ人間が背の高いせいでそう見えるのかもしれないが、体もさほど大きくはない。
こんな状況になければ、ファウスト伯は彼女を「小娘」と形容したことだろう。
ランプがともった事に随分満足したらしい若い盗賊団の親玉は、ようやくファウスト伯の方を向いた。
それから、まるで昔からの友人にそうするように、ファウスト伯に向けてごく自然な笑顔をなげかけた。

「やあやあ、ファウスト伯。ご機嫌はいかが。」
「決してよくはないね、お嬢さん。」

言葉のとおり、ファウスト伯の声には気迫というものが微塵も残ってはいなかった。
しかし、ファウスト伯の胆力もなかなかのものなのだ。しりもちはついていても、端から見て彼はたいへんに落ち着いて見えるのだった。
ファウスト伯はかなり気分が悪そうに、ひとつため息をついてみせる。

「警備をかいくぐってここまできたんだ。私に用があるのだろう。見てのとおり私はもう老いぼれの身でね。話があるなら早々にしていただきたいものだ。」
「それはいいね。私も、あんたとのんびり紅茶を楽しもうと思って来たわけじゃない。話は早いほうが、効率的ですばらしい。」

陽気な声でそういうと、女は急に鋭い目つきになった。

「はっきりと言ってしまおう。あんたの政治に不満があってやってきたんだ。なに、あれやこれやと指図するつもりはない。政治家はあんただからね。
でも、裏町の人間に対する処遇について考え直してほしい。とにかく、重税すぎるんだ。そこから改めてほしい。」

神妙な口調でそこまで言い終えると、女はファウスト伯の瞳をじっと覗き込んだ。いや、にらんだというほうが正しいかもしれないが。

「税制ね…。」

ファウスト伯はすっかり真白になった口ひげに手をやってから、ゆっくりと首を振る。

「それは無理な相談だな。」
「なぜ。今はもう、貴族だ何だと言っている時代ではないだろう。即刻税制を見直すべきだ。」
「私はこの町の首長だ。つまり、この町は私のものだ。私の好きにさせてもらう。」

ファウスト伯はかたくなにそう言い張る。税制を改めろなどと、冗談ではない。
ブラッド民族の連中から税金を取り立てて、余生を謳歌すること。それがファウスト伯残りの人生の目的であり、彼がこの町の首長でい続ける意味だとすら言えるのだから。

「私はあんたに、懇願しにきたわけじゃないんだ、ファウスト伯。脅しにきたんだよ。」

そう言った女の腰元がギラリと光った。
おそらく短剣だ。
それを見たファウスト伯は、とっさに背に隠したリボルバーを取り出した。弾はいつもこめてある。
使うことになるとは思ってもみなかったけれど、今は純粋に自らの身を守ることしか考えられなかった。

一瞬の出来事であった。リボルバーの存在に気がついた女は身を伏せ、弾はその桃色の髪を掠めたようだった。とにかく女にあたることはなく、窓の外の暗闇に吸い込まれていったように見える。
リボルバーの銃声を他人事のように聞いていたファウスト伯は次の瞬間、自らののど元にひどく鋭利なものが突きつけられている事に気がついた。

あまりに俊敏な動きで気がつかなかった。
盗賊団の親玉の隣にいた背の高い女が、ファウスト伯が武器を取り出したのを見て素早く携えた槍を引き抜くと、静かに、そして素早くその切っ先をファウスト伯ののど元につきつけたのであった。
おかげで、ファウスト伯がリボルバーの2発目を引き絞ることはなかった。
ようやくファウスト伯は、背の高い女の顔を見た。盗賊団の親玉とは逆に、ひどく鋭い目つきをしてファウスト伯をにらんでいる。
そして、その目と、ランプの光に照らされた髪の色は、燃えるような赤色であった。
その赤色に目を留めたファウスト伯は、胃の底のところが焼け付くような痛みでチリチリするのを感じた。
怒りのせいである。なんと、胸糞の悪い赤色であろうか。

「脅しているんだ、ファウスト伯。」

先ほどの盗賊団の親玉の言葉を、今度は赤髪の女が繰り返した。のど元の槍の切っ先は、先ほどから微動だにしなかった。

「ここは、私の町だ。私の好きにさせてもらおう。」

赤い髪をした人間にだけは決して屈してはならないのだ、もう二度と。
ファウスト伯も赤髪の女の目をまっすぐに見た。言った瞬間に、槍の切っ先がほんの少しだけのどの皮膚に食い込むのを感じる。

「強引な手段に出なければならないかな、カンナ。」

赤い髪の女は、盗賊団の親玉を振り返って言う。どうやら盗賊団の親玉はカンナという名前らしいが、もはやそんな事はどうでもよい。
しかしそこで声をあげたのは、カンナでも赤い髪の女でもなくて、三つ目の人影だった。

「待って、キーシャ。」

この場にはそぐわない高い声を放って前に進み出たのは、この場にそぐわない華奢な体つきをした少女だった。
ファウスト伯の娘のマリアーナとそうは変わらない年齢だろう。ランプに反射する緩く波打つ髪の色は、輝くブロンドである。

「ああ、君はどこかで……、そう、先日のダンスパーティーで…。」

そう、見覚えはなかったが、やたらに親しげに声をかけてきた美少女、あの子に間違いはないだろう。そう考えてみると、赤い髪の女は連れとして彼女のそばにいた気がする。
そこまで考えてから、いや、待て、とファウスト伯はさらに思考を深めた。
それ以前にも見たことはなかっただろうか。
かなり前のことだ。そう、そう。確か随分以前に呼ばれたパーティーで、輝くようなドレスを着て会場中の視線を独り占めしていた。そう、確かあれはノエのパーティーで…。


そこまで考えて、ようやくファウスト伯は、はっと目を見開いた。今回のこの騒動において彼が一番に動揺したのはこの瞬間だったかもしれない。


「あんた、……いや、あなた様はサラ王女ではありませんか。」
「そうよ。」

サラ王女の口調はあっさりとしたものだった。そうしてあらためて少女を見ると、服は粗末なものだったが、彼女からは輝くばかりの気品と威厳が満ち溢れていた。

「私、この街を視察させてもらって、いろいろ思うところがあって直訴しにきたの。」
「視察…とは?」
「裏町よ。あんな税制ってないと思うわ。裏町の人々、けっして贅沢なんてしていないのに毎日の生活だってぎりぎりだし、あなたみたいにちょっと良いお酒をのんだり、お洒落をしてみたり、
なんてまったくできない生活なのよ。税金を取るなとは言わないけれど、限度というものがあるわ。それに、貴族が優遇されすぎている。これは、誰が見たって不当だと思うレベルのものよ。」
「しかし……ノエの王女様には関係ない話ではないですか。」

ファウスト伯は慎重に言葉を選ぶ。内心では「ただの小娘だろう。」と見下してはいたが、それを態度に出す事は許されない。
ファウスト伯にとって、いや大抵の為政者にとってノエの存在は大きく、それでいて重要な意味をもっている。

「そうね。確かに関係ないし、私があなたに何かを指図をする権利なんかないわ。」

サラはため息交じりにそう言ってから、「でも。」とニッコリほほ笑む。

「でも、そういうせい政治家がいるということを、念頭においておかなくてはいけないわ。私だって、国の上に立つ人間なのよ。」

この女はわかっている、そうファウスト伯は思った。言外にプレッシャーをかけているのは火を見るより明らかだった。
この脅しは軍事的な圧力よりも怖い。ノエは決して大きな国ではないが、経済の中心にある。ノエに嫌われれば、厄介なことになる。
ファウスト老人は、今まで築いたものが根底から崩れてしまうことに怯えた。

「………わかった、わかった。お前たちの要求をのもう。」

いささか苦しそうにファウスト伯は言う。
それから、追い払うように手を振って見せた。もう、三人の顔も見たくなかった。

「分かっていただけたか。」

盗賊団の親玉は満足げに言ってファウスト伯に背を向けたが、赤い髪の女は突っ立ったまま、さらに口を開いた。

「待ってくれ。…ファウスト伯、センの居場所を知らないのか。」

セン、あの尻尾を巻いて逃げた負け犬のことか。
ファウスト伯はセンの事が大嫌いだった。もちろん、彼がブラッド王国出身だからだ。しかし、そんなセンでもいてくれねば困る。
上に立つ人間がいなくなれば国は立ち行かない。国がなくなってしまえば、ファウスト伯の今の地位もなくなってしまうのだ。
彼には自分が国の上に立つという思考はない。かつては、彼にも政治家のそれらしい、より上の立場から国を指導したいという願いがあった。
しかし歳を重ねるにつれて、彼の政治的野心はだんだんに俗っぽいものになっていった。つまり、一番に旨みをすえるのは、今の立場なのだ。

「センの行方だと?私が聞きたいね。知っていたら引っ張っていって、さっさと今の事態を収拾しろと蹴りをいれてやるところさ。」

ファウスト伯は面倒臭そうにそういって、再び手を振った。
もう赤髪を見ていたくはなかった。あの血の色を見ていると思いだす。ずっと昔の事だが。
三人は、ファウスト伯に背を向けて窓から再び出て行ってしまった。




暗い夜道に影が三つ。右からキーシャ、サラ、カンナである。
三人は目的が遂げられたので、上機嫌だった。

「しかし、ファウスト伯に王女という事を明かしてよかったのか?」

キーシャは少しだけ眉根を寄せてサラの顔をのぞきこんだ。

「いいのよ、この際。」

サラがキーシャの顔を見返す事はない。それどころかキーシャの身体が近づくとびくり、と身体を震わせた。態度を見る限り嫌われたようではなさそうだけれど。

「それより、カンナ。よくファウスト伯の部屋の場所を知っていたわね。おかげで、侵入がとてもスムーズだったわ。」

実際警備の人間を何人も気絶させたのでそれほどスムーズではなかったが、確かにあの広大な屋敷の中ですぐにファウスト伯の部屋を見つけられた事は、大きいと言える。

「いや、なにね。あの屋敷の女中に、仲良くさせてもらっている子が何人かいるわけよ。」

カンナが楽しそうに言ったので、サラはあきれたようにため息を吐いてから、「なるほどね。」と言う。
カンナは少しあわてたように、「でも、私は惚れたら一途な女だよ。」と付け加えた。
サラは肩をすくめるだけだった。

女三人、税制が変わるという吉報を携えて、それぞれの思いを胸に宿までの道のりを急ぐ。


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