第二十一話


その夜は宴会だった。
正式に税制が変わる事が決まったからだ。トムの宿は、恐らく創立以来一番のにぎわいを見せている。
一階の食堂で酒を飲みながら騒ぎ立てているのは、カンナ盗賊団の連中である。
この日カンナは盗賊団を解散させる事に決めていた。
サラも遠慮がちではあるものの、スミレと楽しそうに食事と少量のお酒を楽しんでいた。
周りの男達がしきりに酒をすすめるのでキーシャは少し心配になったが、勝気なスミレが隣にいるから大丈夫だろうと思う。
キーシャも隅の方で久しぶりの酒を呷っていると、声をかけてくるものがある。
カンナだ。相変わらずのニコニコ顔である。

「やあ、お疲れ様。」
「ああ、うまくいってよかったよ。」

カツン、と小さくグラスを合わせる。心なしか、カンナの声もいつもより浮き立っているように感じられた。

「約束を果たそうと思ってきたよ。」
「約束?」
「なに、忘れたの。」

忘れたわけはない。センと深く関わりのある人物を紹介してくれる約束だった。そのために、少々面倒な役割を引き受けたのだ、しっかりと覚えている。
ただ、今その事を言い出した意図がよくわからない。キーシャが不思議に思っていると、その内心を正確に読み取ったのだろうカンナはくすくすと笑った。
しかしすぐにわけを説明しようとしないところがなんとも彼女らしい。「ついておいでよ。」とだけカンナは言った。
カンナは、まっすぐに食堂を横切ってゆく。外に行くのだろうか、と黙ってついていったキーシャは、出口手前でカンナがくるりと進行方向を変えたので驚いた。


カンナが向かった先は、カウンター席だった。カウンターでは相変わらずトムが穏やかな笑みを浮かべてグラスを磨いている。放っておけば彼は延々とグラスを磨き続けるかもしれない。


トムの目の前のカウンター席にカンナが座った。頭上に疑問符を浮かべたまま、キーシャもその隣に腰を下ろす。
キーシャが口を開けようとした時、食堂の扉がぎい、と開いた。外につながっている扉だから新しい客であろうかとトムが顔をあげたのがわかった。
普通はそんな扉の音など気にはしない。しかし、妙な胸騒ぎを感じてキーシャは扉の方をみやった。



「……スタンシャンパイン。」



あまりの驚きに、キーシャはぽかんと口を開けた。
ノエ公国の南のはずれの酒場に彼はいるはずではないのだろうか。そう、今日も武骨な傭兵たちを相手に、酒をやったり、仕事をやったり世話を焼いているはずの男が何故ここにいるのだろう。
しかし扉の前に立っているのは、見間違えるはずもなく、恰幅の良い、無精ひげを生やしたスタンシャンパインだ。顔中に汗の水滴を滴らせている。よほど急いできたと見える。

「どうして…。」


ようやく紡いだ二の句は、ガシャン、という音に阻まれた。
トムが、グラスを取り落としたのである。それからトムは、低く呟くような声をだした。

「お前、イルドゥのところのスタン坊主か。」

キーシャはさらに驚いた。トムとスタンシャンパインに面識があったことには確かに驚いた。しかしもっと驚かされたことは、トムの口からイルドゥという名前が出た事だ。

イルドゥが、キーシャの師匠の名前だったからだ。

キーシャを育ててくれた、厳しくて、厳しくて、最後まで褒めてくれることのなかったキーシャの師匠。
いったいどういうことなのか。
全く状況を把握できないキーシャはカンナの顔を見てみたけれど、彼女もスタンシャンパインの登場は予想もしていなかったらしい。誰だ、この男は、といわんばかりの顔で彼を見つめていた。
唯一スタンシャンパインだけは、なにもかも分かっているかのような顔をしていた。
だからキーシャはもう一度だけ「どうして。」とつぶやいた。

「どうしてここに、ってか。何を言っているんだ。お前が俺に手紙を出したのだろう。俺だってお前の事は常日頃気にかけているんだ。
何日も夜通し馬を駆ってやってきたのさ。何頭馬を乗りつぶしちまったかわからんよ。」

そこでようやく、キーシャはこの街に来て初めの日にスタンシャンパインに手紙を出した事を思い出した。
もしかしたらスタンシャンパインが適切な助言を送ってくれるかもしれないと考えたのだった。

「お前の手紙はなかなか刺激的だったな。王女の話はとくに、力になってやりたいと思った。
でももう一つ、トムという男が経営する宿屋で厄介になることになった、という文面を見て、俺はいてもたってもいられなくなっちまったよ。まさか、ってな。
俺は神の存在なんてついぞ信じた事はねえ。だがこんなことがあると、たまに運命を信じたくなる。世の中をうまいこと操作してるヤツがいるんじゃねえかと疑いたくなるのさ。」

ほとんどため息まじりにそう言って、汗を拭きながらスタンシャンパインは歩み寄ってくる。それからまず最初に、トムに向かって握手をもとめた。

「トムさん、お久しぶりです。最後に会ったのはいつだったか。昔のことすぎてトンと忘れちまいましたよ。」
「国王が亡くなられ、国がなくなってしまった時だろうね。お前もイルドゥも、随分と怖い顔をしていたのを覚えているよ。イルドゥは元気か。」

スタンシャンパインは、ちょっとだけ渋い顔をして、首を振った。

「イルドゥの兄貴は先に逝っちまいました。」
「……そうか。あれは随分と屈強な男だったが、あいつは激しい魂を持ちすぎていたな。戦で?」
「いいや、大病で。」
「あんなに強い男でも、病には勝てなかったか。」

するとスタンシャンパインは、少しだけ笑った。少年みたいな表情がその顔に掠める。

「イルドゥの兄貴は本当に強かった。あの当時イルドゥの兄貴に張れるのは、トムさんと国王ぐらいだった。」
「何を言っているんだ、スタン。あいつに勝てる奴などいなかった。私でも、きっと国王でも勝つことなどできなかっただろう。当時、ヤツが国王の友人で良かったとつくづく思ったものだ。」

トムは優しく笑う。人を温めるその笑み。
キーシャは二人が何の話をしているのか全く分からなかった。ただ、トムとスタンシャンパイン、それからイルドゥ師匠が顔見知りであることだけが、なんとなくわかっただけだ。

「トム。イルドゥ師匠と知り合いなのか。」

その言葉を聞いたトムは、少しだけ眉をしかめた。「イルドゥ師匠?」と呟いてから、スタンシャンパインとキーシャの顔を交互に見やる。

「スタン。お前はキーシャと知り合いなのか。イルドゥ師匠とは、どういうことだ。」

訝しげな顔でそう問いかけるトム。スタンシャンパインは、何かを迷うように首筋を引っ掻いた。何から説明すればよいのか、どう説明すればよいのか分からずに途方に暮れているようにも見えた。

「トムさん。キーシャはイルドゥ兄貴の弟子だった。弟子であり、イルドゥはわが子のようにキーシャを可愛がっていた。
キーシャが物心つく前から育てていたのだ。当たり前といえば当たり前の事だ。」
「イルドゥに弟子だと?あの奔放な男がか。決して弟子などは取ろうとしなかった、スタン、お前さえも弟子にはしようとしなかったイルドゥが…。」

それから、トムはキーシャをじっと見やった。赤い瞳を見つめ、赤い髪を見つめる。トムは、静かに何かを悟ったようだった。

「キーシャ、いや…。」

トムがキーシャに何かを言いかけた時、ガシャン、とまたもグラスの割れる音がした。
今日はよくグラスの割れる日だ、そう思ってキーシャが振り返ると、痩せこけた老人がカウンター席に座るキーシャや、カンナの真後ろの所に突っ立っていた。
落ちたグラスにはきっとラム酒が入っていたはずだ。たまに食堂の隅で見かける老人だった。
彼はいつも、一番安いラム酒を食堂の隅で飲んでいるのだ。
スミレからも彼の話は聞いた事がある、とキーシャはぼんやり思いだす。二階の奥の部屋で、ずっと泊り込んでいたという老人。
老人はしわがれた声で呟いた。

「イルドゥの弟子だと…。その赤い髪の娘が…。」

そう言ってから、痩せこけた手で白髪の覆う頭を抱え込むようにした。
トムがカウンター席から出てきて、老人の肩に手を置く。何が何やらわからないキーシャやカンナに向かって「場所を移そうか。」と、食堂の一番隅にあるテーブルまで歩いてゆく。

「カンナ、どういうことだ。」

キーシャはたちあがってトムと老人の後を追いながらカンナに問いかける。カンナは首を振って、珍しく戸惑いの顔を見せた。

「私にもわからない。私はただ、君にトムを紹介しようと思っただけだ。」
「紹介するも何も、トムのことはもう知っているけれど。」
「それは宿屋の主人のトムの話でしょ。トムは昔ね、ブラッド王国にあって、王国軍の総大将をつとめていた人なんだ。」

言葉を失ったキーシャにむかい、さらにカンナはつけたす。

「勇敢な戦士の国と言われたブラッド王国の軍隊で、一番上に立っていた人だよ。」




















食堂の一番端の、朽ちたテーブルを、キーシャ、カンナ、トム、スタンシャンパイン、そして白髪の老人の5人で囲んだ。
最初、誰も口を開こうとはしなかった。この状況を正確に理解している人間は誰もいなかったせいだろう。
恐らく一番、多くを悟っていたであろうトムが、悩ましげに痩せた首筋に手をやった。

「何から説明すればいいのだろうか…。」

その言葉をうけて口を開いたのはカンナだ。

「まず、その爺さんは誰なのよ。トムの知り合いなのか。」

爺さん、そう呼ばれた老人は伏せていた顔をゆっくりとあげた。そして口を開く。先ほどとは違い、低くて重みのある声だった。

「私は、セン・ゴッタールと言う。かつてこの国の副元首の地位についていた。」

灯台もと暗しとはこのことだろうか。
キーシャは驚きと共に、今までずっと探していた副元首の目を覗き込んだ。
国の上に立っていた人間とは思えないほど、センは弱って見えた。
説明を引き取ったのはトムだった。

「政府を離れたいというセンを匿ったのは私だ。もちろん、さいさん戻って国を立て直すように説得してはいた。
センとは、かつて我々の国が、ブラッド王国が栄えていた時代、共に国を支えた仲だった。」
「なぜ政府から離れたんだ。元首のストラウスが死んでしまえば、国が混乱するのは分かり切っている。なぜ今の時期に。」

カンナが聞くと、センは悲しげに瞳を陰らせた。センの見つめる先には、キーシャの燃えるような赤い瞳があった。

「話せば長くなる、ブラッド王国がまだあった時代にまで、話はさかのぼるのだ。」

キーシャはなぜか、キーシャから視線をそらそうとしない老人、いやセンにむけて、ただ一言「聞かせてくれないか。」とだけ言った。センはついに語り出した。










話せば長くなる。しかし、私は話したいのかもしれない。
聞いてくれるかね。
私はブラッド民族の出身だ。かつてその王国で宰相という地位にあった。政治をよく指導し、国王を諌めるのが私の仕事だった。
勇猛果敢、戦いでの勝利を誇りとするブラッド民族は、血気盛んで誇りの高い人間が多かった。
その中で、トムは国の軍隊をよくまとめてくれていたと思う。国が始まって以来の名大将だと言われておったし、部下に慕われていた。
国王は我々部下を大切にしてくれた。まさにブラッドは、我らの誇りだったのだ。
ブラッドは歴史のある国ではない。もともと、少数遊牧民だったのだ。しかし当時の国王とその先代、たった二代で、この大陸の半分の内、三分の一を統治するまでの大国になった。
全ては、国王のお人柄と戦闘の上手さ故の功績だったと思う。
しかし国が大きくなれば統治は難しくなる。中央政治は国の隅まで行き届かなくなる。国王は立派な戦士だったが、政治家になりきるにはしたたかさが足りなかった。
私は国王とよく話した。そのままでは、ブラッド王国は長く続かぬであろうことは、我々の共通の見解であった。
だから私は、国が立ち行くように、ブラッドの民が幸せな暮らしができるように政治を学ぼうと思った。私がそこで出会ったのはストラウスだった。
私は彼の言う、民が政治に参加するという国の形を理想に思うようになった。私はストラウスと、よく交流するようになった。
そしてあの忌まわしき事件が怒った。まっとうに戦争をして、当時ブラッド王国に勝てる国などなかったはずだ。だが、当時のクルーザン国王は頭がよかったのだ。
クルーザン国王はブラッドに対し親政の態度であったから、私はブラッドが倒された時、茫然とそれを見やっている事しかできなかった。私の愛する国王は殺され、我々は絶望した。
しかし、当時の政治の転回はとても早かった。
あっと言う間にクルーザン王国が大陸の半分を占領してしまったと思えば、今度はクルーザン王族が皆死んでしまったのだ。
そこで立ち上がったストラウスに私は誘われた。その頃には私とストラウスの中はごく親密なものになっていた。
ブラッド王国の宰相だった私を、クルーザン王国軍の追っ手から匿ってくれていたのもストラウスだったのだ。
ストラウスは民による政治を理想にした。そしてその政治形態は私の理想でもあった。
そしてブラッド民族も、ドンバ民族も虐げることなく平等な政治を展開することを彼は私に約束してくれた。
クルーザン共和国の要職につくことで、ブラッド民族からもほかの民族からも非難されることは分かっていた。
しかし私は、ブラッド民族を擁するこの国の行く末を見守るべきであろうと息巻いていた。それが亡きブラッド国王の望むところであると信じて疑わなかった。
そう信じてこの国を導いてきたのだ。しかしストラウスが亡くなる時、私は驚くべき事実を彼の口から聞かされたのだ。

ブラッドが滅ぼされた事。ドンバが滅ぼされた事。そして、クルーザンの王族までが殺され、結果的に共和国という国の形態が出来上がった事。
全ては仕組まれていたことだった。

そして、それを裏で操っていたのは……かの1000年の歴史を持つノエ公国の若き国王だったのだ!

当時丁度大陸の反対側で、タッツリア帝国という国が、猛威を振るって大陸の片側を支配せしめんとしていた。
ノエはタッツリアを恐れたのだ。
だがノエの後ろに、タッツリアに張れる大国があれば、タッツリアも容易にはノエに手を出せない。自らがその国に飲み込まれてしまうかもしれないからな。
だから、ノエの国王はタッツリアに負けない大国を、自分の国とは別に作り上げたかったのだ。
そこでクルーザン国王をそそのかして他の二国を支配させた。
しかし国王にその大国を治める器量がないとみるや、ストラウスを立たせるために彼の王族を皆殺しにしたのだ。

私はこの話を聞いて絶望した。私は共和国の理想に向かって突き進んでいた。
愛すべきブラッドの誇りを捨ててクルーザン共和国の副元首にもなった。
しかしこの国は我々が作り上げた国ではなかったのだ。ノエ公国を守るために、まったく違う国の人間によって仕組まれた、そんな国だったのだ。
私はもう、なんのためにこの国を指導すればよいのか分からなくなってしまったのだ。













センは一息に説明をした。キーシャの頭はすっかりこんがらがってしまった。
センは頭を抱え込んで、キーシャに言う。

「私は共和国の理想に敗れたのだ。そして、ブラッド民族の裏切り者だ。」

それから、本当にすまない、とすがりつくような眼でキーシャの瞳を覗き込む。相変わらず、センがキーシャから視線をそらす事はなかった。

「なんで、私に言うんだ。」

相変わらず頭がこんがらがったままで、キーシャが言う。言葉をついだのは、トムだった。

「ブラッド王国には国の色、というのがあってね。何色かわかるかな。」

キーシャが首を振る。つい最近まで、ブラッド王国の存在すらもよく知らなかったのだ。

「赤色だ。なぜだかわかるかい。ブラッド王族の髪の色と瞳の色が、赤色だからだ。
もともとブラッド民族には、赤毛の子がよく生まれる。
しかし王族の髪と瞳は、比べ物にならないくらい色の鮮やかさが違う。
王族の赤は、鮮血のような赤色なのだ。
そして赤色は情熱の色であり、炎のような戦士の血潮の色であり、戦の勝利で浴びる敵の返り血の色なんだよ。
赤色はブラッド民族の誇りの色だ。」

スタンシャンパインがゆっくりと首を振った。

「俺もうすうす、まさかとは思っていた。いや、心のどこかで確信していたかもしれないな。
ブラッド国王の一人娘と、ドンバ国王の所の3人兄妹の末娘。王族の中でも子供の女の子だけは、殺されずに生かされたのだという風の噂を聞いた時、俺はイルドゥの兄貴に真実を聞いたことがある。
でも兄貴は決して本当の事を教えてはくれなかった。でも、トムさんやセンさんの顔を見る限り、俺の確信は、確かなものだったようだ。」

相変わらずぽかんとしたままのキーシャに、スタンシャンパインは優しい笑顔を見せた。同情するかのような、慈しむかのような顔だった。




「まだ、分からないかキーシャ。お前の本当の名前は、キース・アイシャ・ブラッド。たった一人のブラッド王族の末裔だ。
時代の流れがもし何かの拍子に違っていれば、お前は今頃ブラッド王国の王女と呼ばれていただろう。」



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