第二十二話


何が何だか分からない。
キーシャは柄にもなくたくさん頭を使ったせいですっかり疲れてしまい、宴もたけなわになった頃、一人宿の外に出て外壁に背を預けたままぼーっと夜空を見やっていた。
宿の食堂から出てきて、キーシャに背を並べたのはスタンシャンパインだった。
スタンシャンパインは黙ったまま、キーシャの隣で煙草をふかし始めた。スタンシャンパインが煙草を吸うのは、とても珍しかった。

「キーシャ、お前はお前の好きなようにすればいい。」

王女なのだと、そう分かった後でも決して態度を変える事のなかったスタンシャンパインの心持ちがうれしかった。キーシャは「ああ。」とだけ答えた。

キーシャのことをブラッド王族の末裔だという。しかし例えそうだったとして、今更キーシャに何を望むというのだ。
キーシャがそんなふうにセンに聞けば、センはすがるような眼で「国の上に立て。」と短く言った。





「キース様。あんたなら、今の軍部を率いる事が出来る。今の国の軍部は、ほとんどがブラッド出身の人間ばかりだ。今こそブラッド再興の時だと唱えるものもいる。」

ついで口を開いたのは、トムだ。急に、改まった口調になった。

「キーシャ、いや、キース様。私はセンの意見に賛成しようとは思わないが、彼の言い分も一理あると思っている。軍部は政府の対応にしびれを切らしている。
戦場で有名なかの赤猫がブラッド王族の末裔だと知れば、あなたを主君に仕立ててブラッド王国を再興させようとする者が出てくるのは、むしろ自然なことだ。」





キーシャはそんな風に言う二人に、きっぱりと断わりをいれた。キーシャは、ただの傭兵として生きてきた。いまさら王女だのと言われても困るだけだ。

キーシャは夜空を見つめる。夜の空気は冷たい。話を聞いた時に酔いはとっくに覚めていたけど、夜気の冷たさは頭の熱を冷ますようで心地よかった。

「キーシャ、お前はよくイルドゥの兄貴の悪口を俺に言っていたなあ。」

スタンシャンパインは、昔の事を思い出しているのだろう。懐かしそうに笑う。
スタンシャンパインはイルドゥを慕っていた。自ら弟分を名乗るくらいには。
しかしキーシャは、厳しいイルドゥの事が嫌いだった。育ててくれた人だ、感謝はしている。尊敬もしている。
しかし憎らしかったから、そういった思いをスタンシャンパインに告げることがよくあった。
今思えば子供が親に反抗するような、かわいらしいものだったかもしれないけれど、当時のキーシャは本当にイルドゥの事を恨んでいたのだ。

「きっとイルドゥの師匠は私の事が嫌いなんだ。当時のお前はそういっていた。槍の振り方以外は何も教えてくれない兄貴をうらみがましくも思っていたな。
さっきの話を聞いて、まだお前はそんな風に考えているのか。」
「スタンおじさんの言いたい事、分かってるつもりだよ。」

お前はイルドゥに愛されていた。
スタンシャンパインはそう言いたいのだろう。
槍の振り方しか教えなかったのは、戦乱を生き抜き、傭兵という裏の世界、言い換えてみれば血なまぐさくて泥臭い世界でしか、キーシャの生きる道がなかったからだ。
もしブラッド王族の末裔である事が知れれば、どんな事件に巻き込まれるか分かったものではない。
また、キーシャの両親を奪った政治の世界にキーシャを触れさせるのが嫌だったから、彼女に政治の話をすることはなかったのだ。
厳しかったのは誰よりも強く育てるためだった。褒めなかったのは一人で生き抜く力をつけさせるためだった。
戦いの腕さえあれば未来に何か起こっても、相手をなぎ倒して進んでいける。イルドゥはそう考えたに違いない。
キーシャだってその事に気がついた。
師匠がキーシャを大切に思っていたなんて、面映ゆい感じがするし、例えイルドゥが生きていたとしたら絶対に否定したと思う。
でも少しだけイルドゥの思考に近づけた気がして、確かにキーシャは嬉しかった。

「流れで、全てを話してしまった。お前に全てを背負わせることになったかもしれない。
でも、俺は今日初めてイルドゥの兄貴に反抗しよう。
お前はもう強い。何も知らないままに戦いを生き抜くのではなく、自分の生まれを、兄貴の思いを、真実を知るべきだと思ったんだ。」
「ああ、ありがとう、スタンおじさん。」

キーシャは本心からそれだけを言うと、また黙って夜空を眺め続けた。


















依然として茫としたまま、キーシャが朝の散歩から戻ってくれば、一階の食堂は昨日の名残を見せずにすっかりかたづいていた。スミレの功績だと思われる。
しんとした佇まいの食堂の中の椅子の一つに、カンナが一人腰掛けて、愛用のリュートをもてあそんでいた。

「キーシャ、お帰り。」

陽気な声でそう声をかけた。キーシャはカンナに近寄っていく。

「昨日は、大変だったねえ。思いもよらなかった。」
「ああ。」

相変わらず意識がどこかに飛んでしまっているかのようなキーシャの様子を見て、カンナは心配するでもなく、面白いと言わんばかりに笑った。こんなキーシャの姿を見るのが初めてだったからだ。

「サラにはもう会ったの?」
「いいや…、どんな顔をして会えばいいか分からなくてね。」

センを見つけた事を、早くサラに伝えてやりたかった。でも伝えられなかった。
なぜなら、センの話の中にノエの国王の話が出てきたから。
間接的とはいえ、ブラッドを滅ぼしたのはノエということになる。
ノエの国王と言えば、サラが尊敬し慕っている彼女の父親の事なのだ。サラはその話を聞けばどう思うだろうか。正義感の強い彼女が聞けば。

「心配はいらない。私が全部、サラに話したからね。」

カンナが言う。最初キーシャは、カンナが何を言っているのか分からなかった。でも、その意味がようやく分かると、勢いよく立ちあがってカンナの胸倉をつかんだ。

「何故言ったんだ、カンナ。」

先ほどの茫とした態度はどこかに行ってしまった。烈火のごとく怒ったキーシャは、カンナに詰め寄る。
そんな風に態度をがらりと変えたキーシャにむけて、カンナは険しい顔をしてみせた。いつもヘラリと笑っている彼女にしては珍しい表情だ。
胸倉を掴んだキーシャの手を振りほどくと、カンナはまっすぐにキーシャを見た。

「いずれは言わなければならないことでしょ。キーシャ、君は何かを勘違いしている。サラの事を、か弱く守られるだけの少女か何かと思っているんじゃないのか。
彼女は責任感も知力も胆力も持った立派な王女だ。君は彼女に、敬意を払うべきだよ。」

そう言われて、はっとしたかのような態度を見せたキーシャは、傍の椅子にずるずると座り込んだ。それから、静かに頭を抱えた。

「分かっている。なんだかあの話を聞いてからおかしいな、私は。私に両親がいると知っても何も思わなかった。
記憶にもない両親の事だ。それが国王夫妻だったとしても、私には関係ないはずなのに。
私を育てたのはイルドゥだ。しかし、何故だか普通ではいられない。」
「普通でいられるはずないじゃない。いないものと思っていた両親の話を聞かされて、普通でいられる人間なんかいないよ。
関わりのない、ただ血のつながっただけの人間だ、そう頭では理解していても、心は過去の離別を悲しんでいるのさ。それが人というものだ。」

そう言ってカンナは、手にしたリュートをつま弾く。でたらめに弾いていたかと思えば、彼女は何かを思い出したかのように急に歌い出した。









きみの心はどこにある

北の杉の樹ささやくよ
あいつの心は西にある

西の海鳥かたりあう
あいつの心は南だよ

心が昔に戻れるなら
語り合おうじゃないかその時は
いつかのきみがしたように
蜂蜜をこの酒に混ぜこんで

きみの心はどこにある


南の風がおしえてる
あいつの心は東にて

東の空はすきとおる
そこはきみの故郷だろ
そこはわたしときみの場所
二人の頭上にはいつもいつも
蜂蜜色の月がかかってた

もしきみに会えたなら
抱きしめようか愛しきみ
唄え東の空
唄声は波にのって君にとどく
別れ時に流していた君の涙は
東の海にとけてるだろうか

きみの心はどこにある
きみの心はどこにある










いつか聞いた、そう、カンナに初めて会った荷車の上で聞いた曲だった。あの時聞いたよりも、ずっと心に染みるような気がした。

「蜂蜜色の月、だったか。確か恋人同士の唄だったな。」
「ちがうよ。」

荷車の上で歌った時とは違い、カンナははっきりとその唄の意味を否定した。視線はずっとリュートの弦の上だった。

「ちがうよ、これは、ずっと昔に離れ離れになった唯一の肉親の事を歌った歌でね。」

カンナはニッコリと笑った。それから、唄の解釈なんて聞く人それぞれでいいとは思うんだけどね、と付け足す。
しかしそう言われてみると、離れなければいけなかった遠い昔の両親の事が思われた。荷車の上で聞いた時よりも心に染みるわけが、なんとはなしに分かった気がした。
しんみりとしているキーシャにむけてカンナは声をかける。

「さあ、サラのところに行ってやりなよ。悲しんでいるのは君だけじゃない。彼女を慰め、君の傷を癒すことが出来る人間がいるとすれば、それはお互いの存在だけだよ。」

どこか預言者のような口調でそう断言したカンナは、また愛用のリュートをぽろん、と鳴らした。


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