第二十三話


宿の裏口には朽ちた木箱がいくらか積まれていたが、サラはその一つの上に膝を抱えて座り込んでいた。
膝に顔をうずめるサラは、遠くから見ても気落ちしているのが十分にわかる。
キーシャは裏口からその姿を確認して、ちょっと迷うように空を見上げた。空はどんよりと灰色の雲に覆われている。空気も湿気を含んで、ひどく重い。
雨が来そうだ。

「サラ。」

ゆっくりとサラに近寄って行ったキーシャは、サラから少し離れた木箱に自らも腰を下ろした。サラは怯えるかのようにほんの少し肩を揺らしたけれど、逃げるような事はしなかった。
なんと切り出せばよいか分からずキーシャは黙り込んでしまう。ふと、二人きりになるのは久しぶりだと、そんな事を考えた。

「全部聞いたわ。ブラッド王国の事も、あなたの事も。」

先に口を開いたのはサラだった。顔を伏せているせいでその声は少しくぐもって聞こえる。
キーシャは笑って見せた。

「いやあ、驚いたよ。自分の出生を不思議に思う事はあったけど、まさか一国の王女だったとは。時代が違っていたら、私たちはおんなじ立場だったんだな。」

つとめて陽気な声をだしたつもりだ。この沈鬱な空気をなんとかしたかった。

「そうね。」

その声色で、サラが何を考えているのかキーシャには分かってしまった。きっとノエを責めている。それから父親と、自分自身も。
空気がやたらに重たかった。全ては湿気のせいだと、キーシャはそう思いたかった。

「私、お父様が許せないの。どうしても、許せない。」

サラは眉をしかめた。

「確かに自分の国を守る事はとっても大切なことだわ。でも自分の手を汚さずに、何人もの犠牲の上に成り立つ国なんて、私は許せない。」
「……責める必要はないよ。ノエの軍隊がさほど強くないのは有名だ。将来的にノエが生き残る道を考えた時、きっと国王がとった道しか残されていなかったんだと思う。」
「被害者であるあなたがそれを言うの!?」

サラは顔をあげてそう叫ぶ。頬が真っ赤になり目が潤んでいるのが、少し離れた位置からも十分に認めることができた。

「被害者?…私は被害者なんかじゃない。私は一人の傭兵士に育てられた、ただの傭兵なんだ。たったそれだけのことだ。
たとえ私を生んだ両親がブラッド国王夫妻だったとして、私の思いは変わらないよ。確かに、全く感慨がないとは言わない。
でも、やっぱり私は被害者なんかじゃないだろう?本人がそうは思っていないのに、被害者だと決めつけるのは傲慢だよ。」
「……そうね、その通りだわ、ごめんなさい。…でも、それでも、過去にあんな事がなければ、あなたが苦しむ事はなかったでしょう?
 両親の愛情にたっぷりくるまれて育ったかもしれないし、あなたならきっと立派な統治者になったわ。その未来を奪ったのがノエである事に、違いはないじゃないの。」

二人の思いが徹底的にすれ違っていたので、キーシャはそれ以上何も言う事はできなかった。キーシャの言葉が、サラの激情にさらなる火をつけることは目に見えていた。

「一番悔しいのはね、キーシャ。私がお父様の立場にいたら、もしかしたら同じ事をしたんじゃないかって、真っ先に私が思った事なの。
私もきっとノエの歴史を守るために、他の国の人の誇りを踏みにじることを選んだわ。私は卑怯な人間よ。」
「私は政治の事はわからないし、国を持たなかったから、国の誇りも分からない。でも、他の人が自分の国を守ろうとするように、サラの父親も自分の国を守ろうとしただけなんだろう。
サラも、ノエを守りたいだけなんだろう。だとすればそれは、卑怯でもなんでもないし、なるべくしてなったとしか、」
「わかってるわ。それはよくわかってる。だから私はきっとお父様を責め切ることはできない、でも……。」
「だったらサラが自分を責める必要だってないでしょう。なぜそんなに落ち込むんだ。」
「違うの!悲しいの、だって、あなたの悲しみを作ったのは間接的にだとしても私の父親なの!そして、私はお父様を責める事ができないわ!それは私も、同罪ってことでしょ?」

サラの言う「悲しみ」とは、きっとパブオン山脈の、エミリアの小屋でのあの夜。キーシャが吐き出してしまった、途方もない孤独の事に違いあるまい。
キーシャがつい自分の苦しみをサラに見せてしまったから、だから今サラは苦しんでいるのだ。キーシャはあの夜のことをひどく後悔した。

キーシャはため息をついてサラに近づいてゆく。サラの肩に手を置こうと、手を伸ばした。

「サラ、考えすぎだよ…。サラがそんな事を気に病む必要はない、私はそう思う…。」
「だって!」

しかし、キーシャの手はサラの肩に届く直前で振りはらわれた。顔を上げたサラは、ようやくキーシャの瞳を見つめた。
サラの瞳からは、大粒の涙がいくつもこぼれていた。
あのパブオン山脈の最中で、よく知りもしない傭兵士と二人きりになってしまった時ですら涙を見せる事をよしとしなかったサラが、隠そうともしないでたくさんの涙を頬に流している。


「だって、私はあなたの事が好きなのに!」


半ば叫ぶようにサラは言う。涙は次から次に溢れてくる。

「あなたの事が好きなのに、あなたを苦しめたのが私の国だなんて、耐えられない。ノエは私の国であり、私自身なの。だから、だから……。」

その後の言葉は続かなかった。ただ、その後には嗚咽が続くだけだった。
キーシャが何も言えず、身動きも出来ずにいると、もうじっとしていることなど出来なかったのであろう。
サラはキーシャから逃げるように走り去っていってしまった。どこへ行こうとしているのかサラ自身にもわかっていなかったが、とにかくがむしゃらに走ってゆく。

キーシャがその場で突っ立ったままでいると、ところどころ欠けた敷石に、一つ、二つと染みが出来ていった。
キーシャは空を見上げる。
雨だ。
雨脚はあっと言う間に強くなり、雨がバタバタと地面を叩いた。サラの涙に似た大粒の雨が身体を濡らしていくのに気付いたが、キーシャはやっぱり動けないままだった。








雨の中茫然とたたずむキーシャに、傘をさすものがある。キーシャが顔を上げると、傘を差し出してくれたのはカンナだった。

「口下手だねえ。もっと、うまい言い方があるでしょう。」
「聞いていたのか。相変わらず喰えないやつ。」
「そんなびっしょりの姿で憎まれ口を叩かれてもね。さっさと宿に入りなよ。」
「もう、頭がこんがらがる事ばかりだわ。どうしていいか、さっぱりだ。」
「別に自分の好きなようにすればいいんじゃないの。その様子じゃ、君の鈍感頭でもサラの『好き』の意味には気づいたみたいだね。」

あんな表情で言われてしまえば気付かないわけにはいかない。きっとそれは、友人としてとか、家族としてとか、そういった愛情とは別のものだ。サラの目はその事を切に語っていた。

キーシャはカンナに何も答えられないまま、黙って宿に入ってゆく。
屋内に入るとキーシャは自嘲気味に片眉をもちあげた。

「カンナに頼みごとをするのは、癪だなあ。」
「頼まれなくても行くから大丈夫。あんな可愛い子なら喜んで迎えに行くね。」
「そうか。節操のない女だよ、あんた。」
「なに、サラに関しては結構本気なんだ私。ぼーっとしてるなら、私が横から奪っちゃおうか。」
「……何を言ってるんだか。」
「かっこつけても、失ってから気づくだけだよ。」

そう言い置いてカンナは再び土砂降りの中へと戻ってゆく。 きっと雨でびしょ濡れになっているサラを迎えに行くカンナの背中を、キーシャはただ見ている事しかできなかった。

「やっぱり、喰えない奴だ。」



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