第二十四話


鍋の中でお手製のミルク粥がぐつぐつと煮立っている。ちゃんとしたキッチンに立つのはいつぶりだろうか。
キーシャは記憶を掘り返してみたけれど、ついに思い出す事は出来なかった。記憶にないぐらい、久しぶりの事だった。
キーシャが鍋をかき回しているとスタンシャンパインが覗き込んできて、驚きの声をあげた。

「おい、お前料理をする趣味なんかあったか。」
「別に趣味でやっているわけじゃないよ。」
「お前、料理なんか作れるのか。」
「これでも、一人で大陸渡り歩いてるんだ。簡単なもんなら何だって作れる。」

へえ、とさも可笑しそうに笑ってスタンシャンパインはどこかにいってしまう。
失礼な男だ、とキーシャは一人スタンシャンパインに文句を言う。

ミルク粥をかき回しながら、キーシャはぼんやりと、つい先日サラに告白された事を思い出した。
あれはキーシャの答えを求めている風ではなかったが、これからどういう態度でサラと向き合えばいいのだろう。

いや、もし答えを求められたとしたら?自分はどう答えるだろうか?自分はサラを、どう思っているのだろうか。

キーシャはそこまで考えて、首を振った。


自分の気持ちはともかくだ。
サラは王女だ、受け入れられるはずはない。いや、しかしそういえば、自分もかつて王女だったらしいな。
いや、サラも自分も女だ。やはり受け入れる事はできないだろう。しかし、それは彼女を拒絶する理由になり得るだろうか。

キーシャがブラッド王族として殺されなかったのは、彼女が女だったからだ。
女には、復讐をする気力と体力はないだろうと見なされたから。その証拠に、ドンバ王国の末娘も殺されることはなかったという話なのだから。


女だから、キーシャは今生きている。
女だから、サラを受け入れられないのだろうか。


ぼんやりとそんな事を考えていたら、粥が焦げ付きそうになっている。キーシャはあわててミルク粥を平皿によそった。

ミルク粥は、サラのために作ったものだ。一昨日カンナに連れられてびしょ濡れで帰ってきたサラは、案の定風邪をひいて寝込んでしまった。
それが理由か、はたまた別の理由のためかは判然としないが、サラはキーシャとなかなか顔を合わせようとしない。
キーシャがサラの自室を覗こうとすると、布団をかぶってタヌキ寝入りを始めてしまうのだ。
それでミルク粥を作ってみた。キーシャが作ったミルク粥を目の前にすれば、とりあえずは会話をしてくれるかもしれない。ともかく、もう一度落ち着いてサラと話をしたかった。
平皿を片手に、とんとんと階段を上ってゆくキーシャ。ミルク粥はキーシャが唯一よく作る料理だった。
得意料理と言うほど複雑なものでもないが、戦いで疲弊し、食欲がなければこのミルク粥を食べるのがキーシャのお決まりだ。
病床についている身をも、ミルク粥はきっと癒してくれるに違いあるまい。
サラの部屋は、二階の一番手前の部屋。木戸を手の甲で二度ほど叩いたが反応はない。またタヌキ寝入りを始めたのかもしれなかった。
本当に寝ているにせよ実は起きているにせよ、今回ばかりはキーシャは部屋の中に入るつもりだった。だから「サラ、入るよ。」と一声かけて扉を静かに開く。





部屋に入った時、まず目に映ったのは白いカーテンだった。
サラの部屋にはベッドのすぐ傍にとても大きな窓がしつらえてあって、その窓には純白のカーテンがかけられているのだ。サラは、その窓のおかげでこの部屋をとても気に入っていた。
カーテンがひらひらと舞っていた。窓が開いていて、外から風が吹き込んでくるのであろう。



大きな窓に、足をかけるものがあった。黒い装束をまとっていた。
丁度カンナ盗賊団が仕事を行う時のその衣装に似ていたが、彼らの服装よりも、それはその人の身体になじんでいるように見えた。
その服装のおかげで、まるで一つの影だった。
影はスラリとした肢体で、一見痩躯の男性のように見えた。影はその長い手に少女を抱え込んでいる。少女とは無論サラのことである。ブロンドの髪が風になびいてひろがっていた。
影は一瞬キーシャを見た。刹那的に漆黒の双眸と目があった。しかし影はすぐに目をそらすと、窓の外に飛び出してしまった。それはほとんど一瞥した、とでも言える視線だった。
赤猫の登場に、ほんの少しも動揺していなかったのである。

あまりの唐突さに、ほんの少しだけ、キーシャの足が固まった。それが命取りだった。
ミルク粥の皿がガシャン、と床に落ちて割れたのを契機に素早く窓際にかけよったキーシャだったが、既にあの影のような人物とサラの姿は消え失せてしまっていた。
こうして、キーシャは自分の目の前で、今まで守り続けていたサラを奪われてしまったのだった。











「サラが攫われた。」そう説明したキーシャの顔つきは一見落ち着いているように見えた。それでも内心とても動揺している事を、カンナはちゃんと見抜いていた。

「攫った相手は、誰だか分かっているのか。」
「多分、タッツリア帝国の人間だと思う。私たちは、追われていたから。」

サラが奪われてしまった今、素性を隠しても仕方がなかった。
キーシャはその場にいたトムやスミレセンに全てを説明した。

「どうすんだ、キーシャ。」

脇の方で話を聞いていたスタンシャンパインが口を挟む。口調は鋭かった。

「この国の軍隊を率いればいい。」

そこで唐突に声をあげたのはセンだった。彼は、キーシャにブラッド王国を復活させようという望みを、まだ諦めてはいなかったのである。

「キース様、あんたなら、この国の軍隊を率いる事が出来る。この国を新しく統べるものとして、ノエの王に話をつけにいき、ノエの援軍として堂々とサラ様を迎えにいけばいいんです。」
「セン、私にその気はないともう告げたはずだけれど。」
「状況は変わりました。助けたいのならば、こういう考え方もある、という話です。」

センは真剣な面持ちでキーシャを説得にかかる。
何が最善なのか分からず、キーシャは黙り込んでしまった。サラを助け出さなければならない。
サラを最後まで守る、というのがキーシャとシェーンが交わした契約だったのだから。しかしだからと言ってセンの説得をのむべきなのだろうか…。

沈黙は唐突にやぶられた。 目の前の机を叩いて立ち上がったのはスミレだった。スミレはキーシャやサラの素性を聞いてもさして驚かなかった。その肝っ玉は、さすが元総大将の娘と言うべきかもしれない。

「複雑な事情は分からない。でも、攫った相手も分かってるのに、何の問題があるというの?キーシャ。
サラを助けたいのは、あなたでしょう?
だったら無駄な事ぐちゃぐちゃ考えてないで、さっさと助けにいきなさいよ。」

ほとんど叫ぶような口調だった。しかしスミレのその言葉で、キーシャは目の覚める心地がした。

確かに、サラがいなくなってショックだったのは私だ。サラを助けたいと思っているのも、私だ。迷う必要はどこにもなかった。
落ち込んでいる暇があれば、すぐにでもタッツリア帝国に向かうべきだった。

キーシャはそう思って、立ち上がった。スミレに笑いかける。

「全く、スミレの言うとおりだった。セン、この国を統べるのはあんたでしょう。何を逃げているんだ。あんたこの宿で、必死に生きるこの国の人たちを見てきたんでしょ。
国の誇りなんて私には分からないけれど、あんたはそれを捨てても、いまこの国に生きている人間のために働くべきだ。」
「キース様。」
「私はキースとかいう名前じゃない。師匠にもらった、キーシャ・ナイトレイって名前がある。人に全てを押し付けて逃げているのはあんただ。
私はサラを助けにいく。あんたもうだうだ言ってないで、さっさと政府に戻りなよ。」

キーシャは何かが吹っ切れたように急に生き生きとし始めた。今にもサラを迎えに、走りだしそうな具合だった。

「そうと決まればさっさと行こう。」

キーシャはいてもたったもいられない、という様子だ。スタンシャンパインの笑い声が響いた。

「ようやくお前らしくなりやがった。ようし、俺も手を貸そうじゃないか。」
「スタンおじさん、戦えるの。」
「なんだ、俺もなめられたもんだな。今はすっかり隠居しちまってるが、現役のころは戦場の狼と呼ばれた俺だぞ。お前なんかより、俺の方がよっぽど戦場で恐れられとったわ。
今でも、腕を錆びつかせたつもりはないしな。」
「へえ。」
「なんだ、その目は。人数が必要なら、いくらか顔がきくぞ。この辺りにいる傭兵士たちを集めることだってできる。俺がいてよかったなあ、キーシャ。」
「まあまあ、待ってくださいよ。」

意気揚々とするスタンシャンパインをさえぎったのは、カンナだ。

「別にタッツリア帝国と戦争しに行くわけじゃないんだから。少人数の方が、機動性が高い。ちょっとは頭を使わなくちゃ。」
「生意気なねーちゃんだな。」

スタンシャンパインは苦笑する。カンナは頭の上の三角帽を持ち上げて、キーシャを見た。

「タッツリア帝国からサラ王女を盗み出すんでしょ。盗みなら盗賊団団長の私にお任せあれ。」
「カンナ…。」
「私も協力するよ。」

邪気のない顔でカンナは笑う。まったく楽しそうであった。
次に口を開けたのは、トムだった。

「やはりサラ王女を早く助けてやりたいね。だったら最短の道を選ぶべきか。ノエを通るのが一番近かろう。最短の道でいくには、クルーザン国内の関所もいくらか通らねばならない。
やはり現役でこの国に関わっている人間がいた方がいい。アーサーを呼ぼう。」
「アーサー?」

新しく出てきた名前にキーシャはきょとんとする。それは一体、誰だろう?

「現在この国の軍隊で総大将を務めているやつだ。私の昔の部下でしてね。…ああ、そうだ。確かファウスト伯の屋敷前で、会った事があるでしょう?」

そういえば、キーシャはファウスト伯の屋敷の前でトムに会ったことがあった。その時トムは、背の高い、小奇麗な身なりをした男性と話し込んでいた。あの男は、総大将だったのか。

「無論私もお供しましょう。昔の勘を忘れていないといいのだが。剣を抜くのなんて、何年ぶりだろうね。」

トムは穏やかな笑みを浮かべる。
協力してくれるという三人の言葉が、キーシャにはとてもうれしかった。スタンシャンパインが楽しそうに声をあげた。

「そうと決まればさっさと旅の準備をしよう。まずはとびきり足の強い馬を調達してこなければな。」



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