第九話


二人だけの旅が始まって三日目。
そろそろ辺りが暗くなり始めたときに、キーシャはタイミングよく洞穴を発見した。
切り立った崖に穿たれたその洞穴はごくごく小さなものであったけれど、中に入れば二人が休むのに十分な空間がある。
キーシャがサラにその洞穴で休むことを提案すると、サラは何も言わずに頷いた。


夜がすっかり更けた。
ランプなど持っていようはずもない二人は、集めてきた薪に火をたいてその前に肩を並べて座る。季節は春だったが、パブオン山脈の夜はずいぶんと冷え込む。


特に会話はない。それは沈鬱な空気とは違っていて、夜の静けさというものを二人とも心地よく感じていたせいだった。
キーシャもサラも、目の前でゆらゆらと揺れる炎をただじっと見つめていた。サラはその火のゆらめきを、以前にもどこかで見たような気がして記憶を掘り返す。

ああ、そうだ。

しばらく考えてから、それがいつか見たキーシャの瞳の中の炎であった事を思い出した。
その時二人は森を二人で逃げていて、サラはキーシャの事を責めていた。襲撃された時に、兵士たちを置いてキーシャが逃げようとしたときの事。
なぜ、あんな目をしたのだろう。キーシャのあんな表情を見たのは後にも先にもあの時だけだった。サラはちらっとキーシャを横目に見てから少し考え込む。

一方のキーシャといえば、珍しく感傷的な気分になっている自分に対して苦笑いを隠しきれずにいた。
今たった二人きりでこの洞穴で肩を並べているという特異な状況のせいだろうか・・・。

「サラはこれからどうしたい?」

キーシャが突然サラに聞く。ことさら今後について真剣な思考を巡らせていたというよりは、口寂しさを紛らわすためについてでた質問であった。

サラはすでにその事について何度も考えていた。ノエに帰るのも一つの手ではあるかもしれない。しかしそれではノエの国交に関する不安が解消されるわけではない。

「私、クルーザン共和国に行こうと思うの。」

サラが思い切って告げると、キーシャは怪訝そうに返した。

「なんでクルーザン?あんまり関係ないと思うのだけれど。」

サラはノエ公国の人間で、サラを攫おうとしたのはタッツリア帝国の人間。クルーザン共和国はそのどちらでもない、大陸の東の大半を占める国の事である。
ちなみに、キーシャはそのどれにも属さない人間であるけれども。

「タッツリアがこういった一連の計画を立てたのは、クルーザンが今危機にあるからなのよ。だったら、クルーザンに立ち直ってもらうしかないじゃない。」

そういえば、スタンシャンパインがそのような事をいっていたっけ。タッツリアはクルーザンの危機に乗じてノエを利用してクルーザンを滅ぼそうとしているのだとか。
それでノエを脅す切り札がサラだったはずだ。
キーシャはぼんやりそう考えてから、改めて考え直して驚くように言う。

「まさか、サラ。自分の力でクルーザンを立て直そうって気なの?ノエの王女でも、それはちょっと無理があるんじゃないか。それともノエの支配下にでも入れようってわけ?」

その言葉に対して、サラはちょっとあきれたように答えて見せる。

「そんなわけないでしょう。ノエが1000年近い歴史を持っているのは、あのパブオン山脈に挟まれた地理条件のおかげでもあるのよ。
代々国王は、その土地を守ることと引き換えに決して他の領土をほしがったりしなかった。おかげで今ノエは平和に存続しているの。
私の生きた時代でノエ公国を滅ぼすつもりはないわ。」

ここのところ元気のなかったサラの蜂蜜色がかった茶色い瞳が、急に輝きを増したのをキーシャは見た。
そうだ、彼女は王女なのだ、とあらためて思い知らされる。サラは続ける。

「今のクルーザンは確かに元首が倒れたおかげで三つの旧勢力の不満が噴出して混乱している。それでも、その三つを束ねる道はきっとあるわ。それには内情をもう少し探らないと。」
「三つの旧勢力?」

またも、そう不思議そうに言って見せたキーシャをサラは驚いたように見つめた。

「あなた、クルーザンの歴史も何もしらないの?」
「あいにく興味のないことは頭の中に入っていかないようにできているんだ。」

まあ、とため息交じりに言ってから、じゃあ説明してあげる、とサラは傍に落ちていた小枝を拾い上げると地面に楕円を描く。
その中心を上から下へ真二つに割る線を描くと、「これがパブオン山脈よ」とその線をトントンと叩いて見せる。
さらにその線上の真ん中よりも少し下の辺りに小さな丸を描くと「これが私の国。」とつけくわえる。それが大陸を示す地図であることはキーシャにもわかった。
線の右側がクルーザン共和国で、左側がタッツリア帝国だろう。しかしサラは楕円の右側を小枝で三分割してみせた。キーシャをちらりと見て微笑む。

「これはまだ最近の話なのよ。ちょうど私たちが生まれる時代の話なんだから。」






現在クルーザン共和国がある土地にはかつて―――と言ってもつい20年前ほどの話だが―――三つの国が同様の広さと権力をもってして存在していた。
勇猛果敢な気風が満ち満ちた軍人の国ブラッド王国。
経済の繁栄が色濃い商人の国ドンバ王国。
学力水準高く多くの賢人を輩出した政治家の国クルーザン王国。
三つの国の親交は篤かった。気風の異なる三国はよくお互いを助け合い、切磋琢磨しあったものである。実際三つの国の国王はとても仲が良かった。
時に三人で忍びの酒宴を開いていたとまで言われているぐらいなのだから。
それでも三国の永遠の平和が保たれることはなかった。なぜならクルーザン王国が裏切ったからだ。
武力でも経済力でも劣る二国に対しクルーザン王国はその知力をもってして征服を開始した。
クルーザン王国の巧みな政略で、大陸の東は瞬く間にクルーザン王国が支配することになった。ブラッド王族もドンバ王族も一様に殺されてしまった。
しかし、問題はそこでは終わらなかった。次はクルーザン王国の王族がことごとく謎の死を遂げたのである。国王もその例外でない。
民衆は「これは暗殺であろう」と囁き合った。
凶手はブラッド王族の生き残りなのだと主張するものもあればドンバの人間によるものだと推測するものもいたが、しかし最後までそれが解明されることはなかった。
それを突き止める必要のある人間は皆殺されてしまったからだ。
さて、事態の真相はともかくも統べる人間を失った一国は完全に混乱に陥った。
再び三国に分裂し合うかに見えたのだが、その旧勢力の指導者も失ってしまっていては事態がますます悪化するばかりであった。

そこで立ち上がったのが、まだ20代半ばの青年だった。後のクルーザン共和国元首ストラウスである。
彼はまだ国が三つに分かれていた頃から、クルーザン王国で盛んに民権運動に従事していた。
指導力にすぐれた彼はあっという間にクルーザン王国を共和国に作り直し、自らが元首となってよく国を治めた・・・。






ここまで一気に説明してから、分かったかしら、とサラはキーシャの方をみやる。
キーシャは、うん、と頷いてから「つまり。」とつけたした。

「そのカリスマ元首さんが死んじゃって、今混乱してるわけだ。しかも国が一つになって20年。まだ旧三勢力の対立は色濃く残っている、と。
それで収集つかなくなっちゃっているわけか。」

サラはその通り、と笑って見せる。しかしすぐにキーシャは首をかしげた。

「でも、元首が倒れたぐらいで国がそこまで混乱するものなの?副元首なり、いないわけ?そもそも共和国なんだし国民主体なわけでしょう。そんなに指導者が大切かな。」
「クルーザン共和国の実情はストラウスを国王に据えた王国だった、というのが実質のところみたい。
まだ共和国としての制度を作り上げる前にストラウスは死んでしまった。彼の指導力は素晴らしかったから、おしこめられてた左翼の不満が噴出したという感じかしら。そう、それで。」

いっそうサラは生き生きとしてきた。

「副元首は確かにいるわ。セン、という男なんだけれどちょっと変わった経歴を持っていて。彼は元々ブラッド王国の要職についていたの。
それなのにいつの間にか民権派の副元首に。」
「んでそのセンは一国の危機にどうしちゃったのよ。」
「それが、彼は失踪したって言われているの。国のナンバーワンとナンバーツーを一度に失ってしまって、今のクルーザンはわき腹をちょっとつつかれれば崩れてしまう状態よ。」
「ふうん。センとかいう男、なんか適当なやつだなあ。」
「私、統一のカギはこのセンにあるんじゃないかと思っているの。その辺りから探ってみるつもりよ。」

そうだ、サラは本来活発で積極的な王女だった、とキーシャは改めて思い出す。

「キーシャ、手伝ってくれる?無理にとは言わないわ。」

ちょっと緊張気味にそう聞くサラにキーシャは笑って見せた。少し自嘲めいた笑顔だったのは、照れ隠しのせいかもしれない。

「付き合うも付き合わないも、私の契約はまだ切れてないよ。ちゃんと礼金もらうまではサラを守り続ける。
まあ思った以上に大変だから、ノエ国王にたっぷり褒美をせびることにしようかな。」

それから、キーシャはサラの髪をくしゃっと撫でる。サラがそれを払いのけることはなかった。

「それにしてもサラは色々詳しいんだね。王女ってのは皆勉強家なの?」

「・・・学ぶことは大好きよ。特に歴史や政治は好きな分野だし。それに、弟が生まれる前はもしかしたら私が国を継がなければいけなくなるかもしれなかったの。
だから必死で勉強したわ。今は、ほどほどに息を抜いているけれどね。それよりも、これくらいの事は大抵の人間が知っていると思うのだけれど。
あなたの両親は教えてくださらなかったの?」

キーシャは笑う。それは卑屈な笑みでは決してなくて、むしろどこか温かい笑みだった。

「両親はいないよ。私を育ててくれた師匠は、政治の話は私に教えたがらなかったから。お前は明日の飯のための槍の降り方を覚えろ、ってのが口癖だったな。」

それを聞いてサラは少し申し訳なさそうな顔をしたが、キーシャはサラのそんな顔を見たくはなかったから、やっぱり彼女のブロンドの髪をかきまぜた。

「あなたのお師匠さんはどんな人だったの?今はどうされてるの?」

サラがキーシャの事を積極的に知りたがるのは今までにないことだったからキーシャは驚いたけれども、首を振って彼女はその質問をかわした。

「その話はまた今度。もう寝た方がいい。あと一日たっぷり歩けば目的地に着くはずだよ。さあ、おやすみ。」

確かにそろそろ眠気はピークだ。おぶられるのも楽ではない、とサラはこの一日で悟っていた。
仕方なしに横になりながらも、キーシャのお師匠はどんな人なのだろう、そしてこれから向かう場所はキーシャにとってどんな場所なのだろう、
とキーシャに対する興味がむくむくとわきあがるのを、サラは確かに感じたのだった。



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