いちまんかいの愛してる



ずっと良き悪友だと思ってた風子から告白をされて付き合う事になりました。
17年間ほど生きてきたけれど、彼氏ならまだしも彼女が出来るなどと言う事は、ついぞ考えた事がありませんでした。


夕ぐれの中風子と別れて帰宅してから、ああ私と彼女は恋人同士になったんだなあ、と考える。
たとえば靴を脱ぐ時とか、トイレの便器に座ったほんの一瞬とか、テレビがCM中の束の間とか、鏡を見つめながらドライヤーをあててる時とか。
もう私たちの関係は変わってしまったんだと考えて、なんだか体温があがってゆくのを感じるわけである。
私の胸にすっぽり収まってしまうくらい、華奢だった風子の肩を思い出して、なんだか変な気分になった。
もっと抱きしめていたかったなあ。
冗談混じりのハグをしたことはあっても、あんな真面目に彼女を抱きとめたことなんかない。
誰かと思いを通わせて抱き合うと言う事があんなに気持良いなんて知らなかった。


しかし、夜が更けてベッドの上に一人でごろんと寝転がり、何を考えるともなしに天井を見やっていた私は、ふと気付いたわけである。


明日、どんな顔をして彼女に顔を合わせればいいんでしょうか?


自慢じゃないけど、本当に好きな人と付き合うのは風子が初めてだ。
中学生1年だか2年の時にサッカー部の先輩に告白されて付き合ったこともあるような気がするが、別にそんなに好きじゃなかったし正直言ってあまり記憶にない。すぐに別れてしまった。
だから参考にはならないだろう。
前例がないからなんとも言えないが、私は明日、恥ずかしくてまともに風子の顔を見れないんじゃないだろうか。
今日はなんだか勢いがついていたからよかったけれど、あらためて顔を合わせるとなるとどうにもこっぱずかしい。なにせ、親友だった期間が長いのだから。

そもそも付き合うって何よ。

私は、起き上がって腕を組み、考える。
考えれば考えるほどよく分からなかったので、仕方なく本棚から少女漫画を引っ張り出してくる。
これは男女の恋愛を描いているけど、応用はきくかもしれない。少しは参考になるはずだ。


手に取った少女漫画はまさに王道の極みというやつで、主人公が恋をし、じきにその相手と付き合うようになる。
それから主人公と恋人はさまざまな困難(いわゆる、相手方の元彼女が登場したり、ライバルが登場したり、遠距離恋愛になったりするやつである。)を乗り越え絆を深めていく。
私は二人の仲睦まじいシーンを、ほとんど血眼になって読み漁った。

楽しくお話する?
いや、今だって学校にいる間は四六時中喋ってる。授業中も喋ってるから先生に怒られるくらいだ。
一緒に登下校する?
でも今だって私の部活のない日は毎日一緒に帰ってるし、そのままショッピングに行ったりするし。
デートする?
既に、カラオケから東京ディズニーランドまで二人で経験済みなんだけど。


…うーん、よくわからない。やはり男女の恋愛はあんまり参考にならないかもしれない。私は彼女とどうすればいいんだろう。
ため息交じりに手に取った少女マンガをぺらりとめくると、物語のヒロインとヒーローがさんざん愛の言葉を囁き合っている。
その二人を頭の中で私と風子に置き換えてみる。
愛の言葉を囁き合う…?風子と私が?
……ないないない!
私はベッドの上で、一人ぶんぶん頭を振る。
それはすごい恥ずかしいというかなんというか、絶対にコントにしか思われないだろう。
どうしても風子が真顔で「愛してる。」なんて言ってる姿は想像できない!
いや私が言ってる姿も想像できないだろうけど。でももしそんな風に告げたら彼女はなんて言うだろうか。
風子の事だから顔を真っ赤にするだろうな。こっちは、ちょっと想像できるかも。


私はさらに首を振って、頭の中にいる顔を真っ赤にした風子を振り払う。
それから漫画のページをさらにめくると、主人公二人がふんだんに描き込まれた花たちの中心でキスをしていた。
キスか…
キス…。

私は唇をそっと撫でてから、それからようやく自分の頬が緩みきっている事に気がついたわけである。





「いずみー!おっはよー!」

なんだか変な考えを延々としていたせいで寝不足なうえに、妙に緊張して手に汗を握っていたほどの私と相反して、
彼女はお日様みたいな、もう悩み一つもありはしないかのような笑顔で私のところにやってくる。
私は脱力する半ば少しほっとしたりもした。いつもの彼女と変わらなかったからである。

「おはよ、風子。風邪治ったんだ?」
「えー、そりゃもうばっちりだよぉ。」

風子は上機嫌にそう言うと、元気に歩き始める。私も並んで学校に向かう。
隣で風子は熱心に話をする。なんでも昨日読んだ雑誌の服がとても可愛いかったらしい。ふんふん、と話を聞きながら、なんだか昨日あんな事があったのが嘘みたいだ、と思った。
きっと誰が見たって私たちは友人同士に見えるはずだ。誰が私たちを見て「あれは恋人同士だ。」と言うだろう。
でも考えてみたら当たり前だよ。
昨日の夜一人もんもんとしていた私は、恥ずかしくなった。
まさか昼間っから愛を囁き合う事を想像していたわけじゃないんだし、そもそもそんなカップルがいたらしばきまわしてやるところだ。
どうやら考えすぎて頭が惚けていたらしい。
でもなんだか私ばかりがテンパっていたみたいでほんのちょっぴり悔しかった、という事は認めようと思う。



なんら変わらぬ一日だった。つまり、私と風子の付き合う前の日々と、である。
登校し、風子と冗談を交わして皆を笑わせ、まだ足が完治していない私は部活を休んで帰宅した。
風子と別れる間際にちょっとどぎまぎしたが、風子は笑顔で手を振るだけだった。
私もただ手を振って、そのまま家路に就く。しかし心の中では、物足りない気持ちでいっぱいだった。

次の日も、その次の日も風子はまるきり「親友」の鏡とでも言うべきふるまいだったので、私は少し焦り始めた。
もしかしたら風子は、私と付き合うのをやめてしまったのだろうか。
それともあの夕陽のなかでの出来事はちょっとした茶番だったのだろうか、もしくは全部私の夢とか。
深刻にそんな事を考え始めていた私は、ついに下校の別れ際、思わず風子の服の袖をつかんだ。

「ねえ、明日風子の家に遊びにいっても良い?」
「え、いいけど?」

風子はにこにこ笑って頷く。
私がひとつ進展したと思ってほっと息をつくと、風子は「その時雑誌見せてあげるねえ。」といつかに言った雑誌の話をしている。
呑気なものである。彼女のこういう所が大好きなのだけれど、今はいささか頭にくるというものだ。








玄関の扉を開けてすっかりあきれてしまった。
風子の格好は自然体そのもので、つまるところいつもの部屋着だったからだ。
やはりここは恋人モードで気合いを入れていくべきだろうと思い、昨日一時間かけて服を選び、丁寧にめかしこんできた私が馬鹿みたいじゃない。
しかし、風子が、彼女の一番の強みであるぽかぽかする笑顔を顔いっぱいに浮かべていたので、私は何も言う事が出来なかった。
とにかく、問題はこれからなのである。
なにせ、私は恋人の家に遊びに来ているのだ。親友ではなくて恋人の家に!

どきどきしながら風子の家の玄関を通るのは初めてである。
よく遊びにくるからおばさんもなれたもので「いずみちゃん、ゆっくりしてきなー。」と台所から声だけの挨拶が聞こえた。
そんなおばさんに、心の中でこっそり「ごめんなさい。」と告げておく。


風子はいつもと何もかわらない様子だった。
私はどきどきしながら、部屋のクッションの上に正座した。
真っ先に自分のベッドにごろんと横になっていた風子はそんな私を見て、きょとんとする。

「なに、いずみ。落語でも始めるの??」

自分で飛ばした冗談にけらけら笑って手近におかれていたクマのぬいぐるみを抱え込む。
風子が楽しげに笑っている間も、私の眼は風子のキャミソールからのびたほっそりした腕にすっかり吸い寄せられていた。
どぎまぎしている私をよそに、風子は相変わらずマイペースに私が土産に持ってきたチョコなどを口に放りこんでいる。

「あ、そうだ、雑誌を見せる約束してたよね。」

部屋の一角に積まれた雑誌から一冊を抜き出してきて、私の目の前に広げる。
ふたりで一冊の雑誌をのぞきこんだのだけれど、私の意識はもう、すぐ隣にある風子の短い髪の毛とか、真しろの二の腕とかにいってしまっていて、雑誌の内容などまるで頭に入らなかった。
これじゃまるで中学生男子だ、と私は思う。今まで全く気にならなかったものに目がいってしまう。
風子を見ていると、もどかしくて胸が掻きたてられる。触れたい、そう思った。
しかし私は何も行動に起こす事ができなかった。風子の身体はすぐそばにあるはずなのに、ずっと遠くにあるような感じがした。
風子がどんな風に思うかわからなかったからだ。
あの夕暮れから風子を求める気持ちがどんどん貪欲になっていて、それをおかしいと思いつつとめることができない。
過去はともかくも、今ではすっかり風子が私を思うよりも、私が風子を思う気持ちの方がずっと多いのじゃないかと思うほどである。
何もできないまま、何も胸のうちのわだかまりを彼女に伝える事ができないまま、時間はずるずると過ぎ去って言ってあっと言う間に日が暮れた。
そろそろ帰らなくちゃ、私はそう思っけれど、それも嫌で、私はほとんど途方に暮れていた。
だんだん口数が減っていって、あきらかに気落ちしている私に風子が気遣わしげな態度を取り始めた時、ついに携帯電話が鳴った。母親が「早く帰ってこい」と言う。
それを契機に私は立ち上がった。朝の破裂せんばかりの、期待と、緊張と、恥ずかしさは見る影もなくしぼんでいるようだった。

「ごめん、そろそろ帰るね。」

その声はひどく落ち込んでいる。自分でもその事に気がついたが、どうする事もできなかった。





なにかもやもやとしたものが胸のうちにわだかまっている。
帰宅した私は自分の部屋に直行して、またもベッドの上にごろんと仰向けになる。
手の甲を閉じた瞼の上におくと、なんだかじんわりした。
私は何を期待していたんだろう。私は何が不満なんだろう。
漫画の中の主人公のように、愛の言葉を囁いてほしかったんだろうか?
私と同じように洋服に気合いをいれ、デートに望んでほしかったんだろうか?
恋人らしい何かを望んでいたんだろうか?

私は人差し指で丁寧に唇をなぞった。

それとも、風子のほうからキスしてほしかったんだろうか?

全部がその通りな気がしたし、違うような気もした。
風子から告白された。私は今まで、恋の対象として彼女を見た事がなかったけれど、そういう可能性がある事に気づかされた。
それからは、どんどん彼女の事が好きになった。告白されて一週間も経っていないけれど、私は彼女にすっかり夢中になっている。
そう考えてみると、夢中になっている自分がどうにも悔しくなってきたので、なかばやけくそな気持ちで風子に当たることにした。

「あんたが私の事スキっていったんじゃん。もっと、もっとさ…。」

私は一人ベッドの上でつぶやく。どうにも寂しくて、すぐ傍においてあったクマのぬいぐるみを持って、その黒眼をじっと見つめる。
風子とおそろいのクマのぬいぐるみだ。

「このやろー風子のばか!」

私は、ごくゆっくりクマの左頬に右フックを放った。ぽすん、と軽い弾力があって、こぶしにかすかな感触が残った。
私はもう一度クマの目を覗き込んでから、尖った鼻の先にちゅ、と短いキスを落とした。









「いずみ、風子ちゃんきたよ。」

母親のそんな声で私はベッドから飛び起きた。夜ご飯を食べ終わってから何をするでもなくベッドにあおむけになっていた九時半の出来事である。
半信半疑で玄関から外に出れば、確かに風子が自転車のかたわらに立っている。

「どうしたの?」

先ほど彼女の家で別れたばかりの風子がなぜ自分の家までやってきたのかわからず茫然としている私に向かって、風子は相変わらずの笑みを見せた。

「なんかさ、いずみ元気なかったから、このまま明日になるのはいやだなあと思って。」

それから風子は私の目を覗き込むようにして付け加えた。

「いずみ、私に何か言いたいことあるでしょ。言ってよ、なんでも…。恋人じゃん。」

まるで、親友じゃん、ってそう言うみたいに風子は笑った。私はなんだかほっとしてしまって、目に涙がにじむのが分かった。

「なんか、私と風子が恋人になったってこと、全部私の夢だったんじゃないかなあと思って。
そしたら、絶対嫌だなあと思って。だって、私はもう風子の事が好きだから。」

私は素直に自分の考えを口にした。

「夢じゃないよ。」

風子は苦笑した。

「だって風子、なんにも変ったところないんだもん。私ばっかりどきどきしてるじゃん。
そりゃ、今までずっと一緒にいたけどさ、やっぱり恋人なんだなあと思ったら、違ってくるじゃんいろいろ。私だけ好きなのかもって考えるよ。」

安心した私がまくしたてるように言うと、風子はあっという間に申し訳なさそうな顔になる。

「ごめん、あたしいずみと付き合えるんだなあと思ったら嬉しくなっちゃって、舞い上がってて、いずみの気持ち全然考えてなかった。
あたしだって、いずみの事好きだよ。昨日より今日の方が好きだよ。どんどん好きになるよ。」

それから、風子は別にわざと恋人らしい振る舞いをしなかったわけではなくて、彼女もどうしていいか分からなかったこと。
触れていいのか分からなくて風子も不安に思っていた事を説明してくれた。

「でもさ、ドア開けたら部屋着だったから、ちょっとがっかりした。」
「ごめん、ごめん。でもさ、いずみにどきどきしてるのは本当だから。」
「ほんとうに?」
「だって、あたし三年くらい片想いしてたんだよ。三年もそばにいたら、どきどきとの折り合いの付け方もいい加減覚えるよ。
いつも一張羅着てるわけにもいかないじゃん。」
「ああ、そうか。」

当たり前のように三年も片想いをしていたと聞いて、私は頬が熱くなった。だから、わざとそっけなく返したのだ。

「でも、そうか。今までの片想いとは違うんだもんね。恋人同士なんだもん。」

嬉しそうに風子は笑っている。耳にこそばゆいような、どきどきするような声だった。
風子が私の手を突然握った。「恋人だもん。」と自分と、それから私に言い聞かせるように風子が呟いた。
笑顔から、急に真面目な顔になった。風子の真面目な面構えと言うのも、半年に一回くらいしか見れないが、これからもう少し頻繁に見られるのだろうか。

私たちは、私たちには珍しく三〇秒くらい無言だった。無言のまま見つめ合って、それからどちらからともなくキスをした。
どちらかから、じゃなくて、二人が完全にそれを望んで、キスをした。そう言えば過去二回のキスというのはどちらも突発的だったし、一方的で、ムードはまるでなかった。
その過去のキスとは比較にならないほど長く、またその時よりほんの少し深いキスだった。
漫画の主人公たちのようにはいかなくとも、自分が愛していて、そして相手も自分を愛してくれていると分かる人とこうする事は、
とても気持ちがよいものだと、私は星空の下で静かに悟ったのだった。



夕暮れ2センえんさつ
1000日の夜
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